日常の記録」カテゴリーアーカイブ

だんだん、一日一日が大切になってきました。Carpe Diem.

火と水の11日

先週の土曜は11日だった。
12年前のあの日から、干支一周したんだな。

なんとなく落ち着かない気持ちで朝、
台所の蛇口のレバーを押し上げたら、
なんとバキっと折れて落下し、
震災の頃から使っていたグラスが一個割れた。

さあ大変、水が出ない。

正確には、レバーを無理やりねじこんでそーっと上げ下げすれば、
出なくはないけど、やっぱりすぐに取れてまた落ちてしまう。

仕方なく業者を呼んだら、割合すぐに来てくれたんだけど、
レバーが折れただけじゃなく、
水栓の根元が弱って傾いていたらしく、
全とっかえしなければ無理ということがわかった。

カタログでそれらしいのを見繕って即発注したものの、
取付は週明け以降。
それまでだましだまし使うしかない。
ついてないなぁ。

そこでハッとした。
人こそ違うけど、11年前のこの日、
同じ会社に、その時はガス給湯器の修理をしてもらっていたんだ。

「直りましたよ。お湯出してみましょうね」
と技術者の人が言った途端、
人生最大の揺れが……

「これが本当に止まったの、初めて見ました」
安全装置が働いて、ガスは止まっていた。

お湯は出るようになったけれど、
その後は長く不安な日々を過ごすことになったんだ……
もちろん、東北の人たちの苦難とはくらべものにならないが……

あの日は、火。
今回は、水。
奇しくも同じ日に、同じ業者に来てもらうことになって、
なんとも不思議な気持ちになった。

震災のときも、ようやく来たバスに乗りながら、
「走ってくれてありがとう!」
開けてくれたスーパーに、
「売ってくれてありがとう!」
という気になったもんだ。

目に見えない大事なものを、
災害はあの時あぶりだして見せてくれた。
火も水も、当たり前に出るものじゃなく、
こういう人たちの誠実な仕事があって初めて使えるものなんだ。

それから数日経って水栓は交換され、
快適な日々が戻ってきた。
実は、あの後さらにグラスをもう一個、
割ってしまったのだった……

銀河系の入口

神田駅で電車に乗ろうとしていたら、
繰り返し同じアナウンスが流れている。

「この改札は、銀河系の入口ではありません」

JR、春のキャンペーンにしては壮大だな。
ディスティネーション宇宙か?

周囲を見回したがそれらしいポスターはない。

しかし、何度か聞いているうちにやっとわかった。
銀河系ではなく、「銀座線」だった。
(写真は東京駅)

偲ぶ会

昨年急に亡くなってしまった友人は、
近所でカフェを経営していた。

店も閉まってしまい、そこで会っていた常連さんとも、
それきり顔を合わすこともなくなっていたのだが、
たった一人だけ、LINEを交換していた人がいた。

彼女に連絡をとり、なんとか「偲ぶ会」的なものをしたいですね、
と言っていたのが、彼女も一人だけ知っていた常連さんに声をかけ、
その一人がまた一人に声をかけ、
なんとか7人が集まることになった。

場所は、閉店してすぐに借り手のついた同じ店で。
なんだか妙な気分だが、そこがいちばん集まりやすい。

すると、予約の経緯を知った新オーナーが気を利かせ、
故オーナーのお子さん(成人)に知らせてくれたことで、
お子さんも顔を出してくれることになった。

知らない同士もいたけれど、
故人をめぐるエピソードに花が咲き、
よく似た面影のお子さんともお話しができ、
とても充実した会になった。

自分以外の人とふれあうことで、
うすぼんやりした悲しみが言葉を得て、形を得て、
体の中から吐き出されていく。
感情も成仏するのだろうか。

故人の生き方考え方を反映して、
戒名はなく、お骨の一部は海に撒いたそうだ。

最後に会った日、
しばらく治療に専念する、と言った彼女の手を握って、
「じっくり治して!」
と励ましたつもりだった。
その手は暖かかったのに。

もう会えない悲しみはいましばらく続くだろう。
でも、そんなに悲しいことでもないのかもしれない。
私も同じ方向に進む流れに乗っているのだから。

桜とホームレス

都内を歩いていたら、
桜ーーといってもソメイヨシノではない品種ーー
が咲いていた。
すぐ近くには梅が満開。

寒さの厳しかった今年の冬だが、
春はずいぶんと早いらしく、
都内の開花予想日は17日だという。
今日もずいぶんと温かだった。

名前のわからないその桜の近くのベンチに、
ホームレスらしき男性がくつろいでいた。
台車の上にたくさんの荷物を載せている。

ホームレスに遭遇すると、
見るとはなしにその荷物に目が行ってしまう。
どの人も、一様に大量のモノを持ち運んでいる。
あの中身は何なのかーー

「カバンの中身見せてください」
という雑誌の記事のように、
あの台車に積んであるものを一平面に並べたら、
いったいどんなものがどのくらい出てくるのだろう。
そんな悪趣味なことをつい考えてしまう。

現代生活にモノは要らない、
そう言われるようになって久しいけれど、
それはほんとうは、とても恵まれた、
ある意味特殊な環境においてのみなんだ。

12年前の今月、それをイヤというほど思い知らされた。

桜の開花予想日まであと10日。
東日本大震災の日まで、あと4日ーー

例によって写真がアップロードできなかったので、似たような過去の写真を使ってみた。
でもこれ、桃かな?
キャプションも真下に来ないし、左ゾロエにならないや
 

くまのもなか

先日のことだけど、
長いお付き合いの方からお菓子をいただいた。
すっごくかわいい、熊の形の最中。

最近見るようになった、皮と餡が別々になっていて、
食べる直前に自分でサンドするタイプ。
これ、楽しいね!

皮はパリパリだし、添付のあんこはどっさりだし、
何よりこのあんこが飛び切りおいしい。

食べながら、
「北極にはホッキョックグマがいるけど、
南極にナンキョクグマっていないよな。
大陸なんだから、いてもよさそうなのに」

あと、地球温暖化の話になると、
必ずといっていいほど、南極の氷が溶けたら水位が上がってタイヘン、
というけど、
北極の氷だって溶けるだろうに、
北極の氷については誰も何も言わないなあ。

そう思って調べてみたら、
「地球の歴史の中では比較的最近誕生したクマは、
北半球で生まれて北半球で繁栄してきた。
冬になると北半球高緯度の大陸は凍って北極の氷と地続きになるから、
クマは北極に進出したけど、
南の大陸は冬になっても南極と地続きにならないので、
クマが南極に渡る方法はなかったし、
そもそも南半球は遠すぎるから行かない」

だって。

あと、北極の氷が溶けるとどうなるかについては、

「全部溶けても、全世界の海水面が数センチ上昇する程度」
なんだそう。
南極のは、大陸の上に降った真水の氷で、
途方もなく大量にあるのに対し、
北極の氷は海水だし、
見えてる部分の氷が溶けても、
海水に戻るとだいぶ嵩が減るらしい。

このところしょんぼりしていた私に同情して、
おいしい熊を送ってくださったSさん、
ありがとうございました。

自作できる最中 下の皮はちゃんと後ろ姿 あんこが絶品でした

おかんの俳句

先日、川の合流点をさまよっていたときのこと、
写真を撮っていたスマホをふと見たら、
実家の母から2回の着信が入っていた。

今どき、電話をしてくるというのは相当緊急事態。
具合でも悪くなったのか?!とあせって電話したら、
いたってのんきな声の母。
「今日は寒いなぁ」

「さっき電話くれてたよね? どうしたの?!」
母、へへへと笑い、
「アタシさぁ、俳句始めてみたんだ」
「ええええ!!」

これにはけっこう驚いた。
テレビで毎日朝ドラをチェックし、演歌系歌番組を全部見て、
チコちゃんが大のお気に入りという、
文芸要素ゼロの生活をエンジョイしている母が俳句??
何が起こった??

「T姉さん(母にとっては兄嫁。兄はとっくに故人)のとこに、
この前ひさしぶりに行ったんだよ〜。
(コロナで親戚とも行き来を控えていた)
そしたら姉さん、最近俳句を始めたんだって!
いくつか聞かせてもらったが、いいもんだね。
94の姉さんが始めたっていうんだから、
アタシもできるんじゃないかと思ってさ」
ノリノリである。

次に飛び出したのが、
「けっこういくつも出来たんだよ。聞くか?」
2回もかけてきたくらいだから、聞かせる気満々である。

こちらは先ほどからぬかるみに足を取られながら、
だだっ広い河川敷をさまよっているのだが、
もちろんそんなこと母は知らない。
知ったところでどうだっていいだろうし、
「アンタはいい年して相変わらずバカじゃねーの」
などとドヤされるにきまってる。

なので、息をきらしながらも、

「いいねぇ。聞かせてみ?」
と言うしかない。ここで聞いておかないと、
二度と俳句なんて詠まないかもしれないし、
ゼッタイ機嫌を損ねてしまう。

こちらは堤防をよじ登ったり、
重機のわだちをのりこえたりしているからあんまり入ってこなかったけど、
聞いててわかったのは、

「575 にはなってるが、季語がなくて、なんなら少しおもしろい」
(だいぶ川柳だった)

でも、
「いいんじゃない? ちゃんと形になってるよ。
季語? そんなもん、思いついたとき入れりゃいいんだよ。
数打ちゃ当たるよ!」
と講評したら、すっかりご機嫌に。

大活字の辞書が見つからない(絶対捨てた)というので、
買ってあげる約束をし、
昨日出かけたついでに夏井いつき先生の俳句入門も買ってみた。

にしても、94歳に張り合って新しいことを始める85歳って、
別の意味で日本スゲーと思ったわ。


書影の画像が見つからないので困ったときのお菓子

The Manhattan Transfer at BLUENOTE東京

久しぶりにライブ聴きにブルーノート東京、
ジャズコーラスの皆さんと一緒。
出演は結成50年!のマンハッタン・トランスファー。

高校生の頃初めて聴いて大好きになり、ずっとファンだった、
まさに青春の音楽。
これが最後の日本公演かもしれないので、見逃すわけにはいかない。

開演前、ステージ脇のモニターに彼らの若い頃のMVが流れる。
80 年代のものが多く、メイクやファッションが懐かしい。
日本の酒造メーカーのテレビCMに出演したときのものもあって、
日本も元気で若かったなぁと思う。

今日の演奏は、わりに鉄板の曲目で、名曲ばかり。
ウディ・ハーマンやカウント・ベイシー楽団の曲のヴォカリーズもあったし、
ラストは大曲「Birdland」。
70代となった彼らがやるのか? と思ってたけどやってくれた。
1st stageとはいえ気力体力すごいな〜。

アンコールも気前よくやってくれ、
最後は客席(中高年多し)総立ちでダンスフロア状態だった。

帯同ミュージシャンはリズム隊のみ、
日本で編成されたビッグバンドは若者メインで、
彼らにはすごくいい経験になったろうな。
帰りがけ、テナーのアランがとても丁寧にファンサービスをしていて、
優しい人柄を感じた。

リーダーだったティム・ハウザーは亡くなり、
これからどれだけグループとして続くのかわからないが、
いつも素敵な歌をありがとう。
気の合う人たちと今日聴けてほんとうによかった!

料理さえできれば

むすめが独立して1年半。

いつ行ってもアパートの部屋はきれいに片付いているし、
自炊とお弁当も続いている。
節約でプールしたお金は趣味の旅行に充てる、
という生活が定着したようで、一安心だ。

一方、コロナとともに大学入学した息子の方は、
3年も終わるというのに、就活の気配すら見せない。
頼むから4年で卒業して(文系学部)、
就職したら家出てってくれ……
(空いた部屋を私の部屋にして、裁縫台を設置する予定)

心配したむすめが問いただすと、
案の定ほぼ何もやってなかった。
姉にどやされ、重い腰を上げたむすこ。
就活指導はむすめが頼り!!

就活に関して私がやれることはないから、
独立後を見越して、一通りの自炊を教えることにした。

小中学校の時も多少やらせていたけど、
今度はもうちょっと実戦向きのプログラムで。

内容は、
・1週間の買い物プラン
・簡単な作り置き
・メイン料理何種類か
・調理後の油やごみの始末、洗い物
・簡単な合わせ調味料
・食材の切り方
など。すでにいくつかは伝授済。

男女問わず、何が役に立つかって、
料理の能力だと思う。
使えるお金が少なくても、食生活さえ安定していれば、
楽しく健康に暮らせるもの。

料理と後片付けができるなら、それだけでも、
お金をたくさん持っていると同じことだ。
あとはゴミさえきちんと出しておけば、
ほかはまあどうにかなるぞ!

相続させるような財産は何もないので、
これが私の生前贈与……

自力で思い出す

スマホがあると、いちいちパソコンを開けなくてもいろいろ調べられて便利だ。
でも、年々スマホに頼る頻度が上がってきて、なんだか不安だ。

てのひらのなかのこの薄っぺらい板に全世界が入っているかのように、
その板を握る自分が全世界を握っているかのように、
いつの間にか錯覚してしまいそうで気味が悪い。
本当は、この板がなければ何ひとつ思い出せない空っぽな頭しかないくせに。

とはいえ、年齢とともに思い出せない場面がどんどん増えてきて、
人の名前や作品名、ものの名前など、
一日に何度も「あれ何ていったっけ……」と立ち止まる。

そんなとき、切羽詰まった状況でなければ、
時々検索しないで自力で思い出すようにしてみている。

言葉がすぐに出てこないのはもどかしいけれど、
どうにかして自力で思い出す訓練をしておかないと、
もはやスマホなしで生きていけなくなってしまいそうだから。
(もはやそうなっているのだが……)

先日、映画の『日本沈没』をテレビの録画で観て、
かなり原作に忠実に制作されているのに感心したところなのだが、
数日たって、その話をしている時、
「あれ? 著者って誰だっけ」
顔は出てくるのだが、どうしても名前が思い出せないのだ。

でもググるのはイヤなので、一生懸命考える。

こういうとき、頭に浮かぶ言葉を、関係がなさそうでも、
書き連ねていくといいらしい。

この時書き留めたのは、

・松本清張
・泉鏡花
・大橋巨泉
・沈まぬ太陽
・眼鏡

松本清張が出てきたのは、何となくわかる。眼鏡も共通してるし。
「沈まぬ太陽」は山崎豊子だが、それも何となくわかる。
しかし、あとの二人は、全然関係なさそう。なんでこの二人が……?

しばらく考えてもやっぱり出てこなかったのであきらめて、
ほかの作業を始めた。
だいたい、ほかのことをしていると、20~30分後に、
急に思い出すことが多いのだ。

案の定、30分近く経ってから、立ち上がる拍子にふっと出てきた。
「小松左京!!」
自力で思い出せた嬉しさに胸がすっとしつつ、
「にしても何でこの二人?」
と訝った瞬間、はっと腑に落ちた。

「左京」の「きょ」の音だ!

記憶は、脳の中の棚のような場所に、
似たものとまとめて格納されていると聞いたことがある。

時代は違うが作家である「きょうか」
作家ではないが同時代の「きょせん」

は、「さきょう」の隣の棚に入っていたのだろう。
記憶ってこうなっているのか……と面白かった。

今までもこの方式でいろいろな言葉を自力で思い出している。
これからも、時には検索に頼らず、
自力で思い出してボケ防止に努めようと思う。

ストレッチ

この1,2か月、友人を急に亡くしたことですっかり落ち込んでいて、
私初めてだ、春の気配がするのに心が浮き立たないのって。

マスクも外してよくなりそうで、いろいろなイベントも復活して、
本来なら景色がキラキラ見えてくるはずなのに、
今年は何もかも色あせて見える。

彼女と、一昨年亡くなった山本文緒先生が重なって、
同世代の自分とも重ねてしまっているのかもしれない。

無理に元気出そうとしてもうまくいかない。
おとなしく落ち込んでいるしかない。

こういう時は、
かえって書くことで気持ちを落ち着けた方がいいのかもしれないな。
気持ちを言葉にして文字にすることで、
つらさが増してしまうように思っていたけど、
きっと逆なんだ。

絵の描ける人なら絵を描いて、
ピアノが弾ける人ならピアノを弾いて、
心の中に浮かんだものを外に出すだろう。

私はそれを文字にして頭から出していこう。

しゃれた写真はつけられないかもしれないけど、
(私は写真がヘタクソ)
文字だらけになってもいいから、
書くことで心をストレッチしよう。

私にはそれしかできないんだし。