日常の記録」カテゴリーアーカイブ

だんだん、一日一日が大切になってきました。Carpe Diem.

久々登山

お盆前だったが、久々に登山をした。

登山といっても、奥多摩の御岳山だが、
仮にも登山ぽいことをしたのは、コロナが蔓延し始めた頃、
房総の伊予が岳に登ったのが最後なので、
実に3年ぶり。
(先日の戦場ヶ原は、大したアップダウンはなかった)
東京の西の方に行くのも久しぶり。

途中までケーブルカーが使えてラクラクの御岳山だが、
それでも、標高900m以上あって、
武蔵御嵩神社を戴く山頂は涼しい。

境内には犬の神様?も祀られているとかで、
ペットの犬を連れた登山者が多い。
また、コロナが明けた昨今、外国人客も増えているようで、
特に、なぜかインド人のグループが多かった。
(インドならもっと高い山がいくらでもありそうだが…)

山頂からさらに足を延ばして、いくつもの景勝地を訪ねることもできるし、
別の山を目指して縦走もできるらしい。
秋には紅葉が楽しめそうなので、
また少し経ってから登るのもいいな。

山腹には御師の集落があるなど、
信仰の山の形跡を色濃く残す御岳山、
高尾山よりも人が少なく、ラクに登れていい山だと思った。

オトーサン(夫)が急に言い出して行くことになったのだが、
こういう時彼は何も調べず、行く道すがら経路などググっていて効率が悪い。
行く前にすべての行程を調べ上げないと気が済まない私とは、
まるで真逆である。

まあ、同じ人間が二人いても面白くもなんともないので、
これはこれでいいのか。

プチドライブ

40年来の友二人と、友の一人の地元をドライブ。

私もよく観てる『孤独のグルメ』に登場した洋食屋さんでランチの後、
私が昔住んでいた駅にある、
牧野富太郎記念館を訪問、
友の家でおしゃべり、
という楽しい一日を過ごす。 

牧野記念館、当時は単なる古家だったのが、
綺麗に整備され、
朝ドラ効果もあって賑わっていた。

友と3人の話題は、老後の過ごし方について。
こんな話題が出る年になったんだな〜、
こんな話しができるまで付き合ってくれてありがとう…

今度は温泉ドライブもいいね!
太平洋岸なら私が運転するよ!

信じない人

今日、思い出したこと。

10年以上前に、ある集まりでたまたま会話を交わした、当時70代なかばの男性。
公務員の職を引退してからは、趣味のカメラを手に、自治体から交付される高齢者用のパスを活用して、あちこちに出かけては楽しんでいると話してくれた。

話上手で陽気な彼は、現役時代のエピソードを面白おかしく語った話の切れ目に、ふとこんなことを言い出した。

「私は、一切のモノを信じていません」

長年連れ添った夫人を亡くしてからは、家も土地も処分して老人ホーム暮らしをしているという。

「私は旧満州で生まれました。そこで何不自由ない暮らしをしていたが、日本が戦争に負けた。日本人は皆、着の身着のままで逃げた。小学校低学年だった私は、敗戦の混乱の中で家族を失い、引き上げ船を目指して逃げる日本人集団に、たった一人でくっついて行ったんです。その途中、道に転がるいくつもの死体を見ました。誰もそれにかまう者はなかった。あの時から私は、一切のモノは無意味だと確信したんです」

さっきまでの楽しげな様子とさほど変わらない表情で、淡々と彼は語った。
夫人の墓は作らなかった。詳細は忘れたが散骨したような話だった。子供はない。自らの死後は何も残らないよう、すでに手筈は整っているそうだ。

墓を作らなかったこと、家屋敷を黙って処分したことなど、親戚からさんざん非難されたと笑った。その笑いは、どこか乾いていた。

日本ハッカ

自分なりに組んだ日課を淡々とこなすことが、
私にとっては心を安定させてくれるいベストの方法なのだが、
月頭に風邪をひいたのが長引き、
体調イマイチの日が続いたせいで、
すっかりその習慣が崩れてしまった。

このブログもそう。
別に誰かに読ませようというものでもないし、
書かなければ書かなくても済んでしまうものだから、
ひとたび止まるとこの体たらくである。

でも、やっぱり私には習慣が必要。
ようやく体調も戻ってきたし、
また一から日課を立て直し中。
やると決めたことが一つひとつできていくとスッキリするし、
気持ちが落ち着くね。

今日は、先日手に入れた日本ハッカをプランターに植えた。
野生のものを見つけたくて、
湿地っぽいところに行くたびに目を皿のようにして探していたけど、
全然見つからなかった。

外房にドライブに行ったとき、ハーブの専門店に寄って、
ダメ元で尋ねてみたら、なんとあった!!

夏は苗を買うにはあまり適していないけど、
ハーブ売り場のお姉さんが親切に苗を見つけ出してくれ、
「野生のを探すのはすごく難しいと思う」
と教えてくれた。
外来種のミントと違って競争に弱いらしい。
確かに、スペアミントなんて河原にいっぱい生えてるもん。

この株を絶やさず増やしていければいいな…
葉っぱは小さくても、とてもいい香り!

丈夫でないとムリ

月曜突然発熱して以来まる3日目寝込み、
4日目はロキソニンの力でしのぎ、
5日目の今日ようやく平熱に戻って少し外を歩けるようになった。
4日間家でゴロゴロしてたら脚の筋肉が目に見えて落ちた。

平熱に戻ったとは言え、まだ少しのどが腫れていて、
熱が引いていくと同時にできた口内炎がひどく痛い。

どこか1箇所でも痛いところがあると、緊張して体が硬い。
すると肩がこるし、何をやってもパフォーマンスが悪いので、
「明日でいいや」となってしまう。

常日頃料理が好きな私だが、
「この残りとこのクズ野菜を組み合わせてアレにしちゃおう」
なんていう工夫や手間の意欲は湧いてこない。

「シンプルに暮らす」なんて体裁のいい言葉だけど、
基本、体力と時間があって成り立つ趣味の世界だ。
ひとたび風邪でもひこうものならこの体たらく。
台所は荒れ、洗濯物は積み上がり、床はほこりっぽい。

だが、そんなどん底からよみがえり、
一つずつホコリを払って、洗い、たたみ、並べ、煮炊きして、
秩序を回復するのもまた醍醐味。
暮らしは何度でも停滞し崩壊するけど、その度やり直せるのがいいものだ。

今日一日で薄紙を剥がすように喉の痛みが消えていった。
明日は口内炎がおさまってくれるといいな。
まだそうめんしか食べられないので。

家電運

18年使った洗濯機をついに買い替えた。
うちは家電運がよくて、わりに長持ちする。
電子レンジなんか25年も使ってた。

脱水できずに止まってはコンセントを抜き差しし、
時間を置いてからいろいろなモードを試し、
だましだまし使って数か月。
そろそろそれも限界かと観念し、買ってきた。

前に使っていたのが、出始めのドラム式で、
ものすごく重くて80kgもあったので、
いつもその重量が憂鬱だったから、
今回はライトな縦型にしておいた。

前の機材を搬出してもらった跡の洗濯機パン
嵩上げに使われた台座の錆びが散乱し、
18年分のホコリと一緒になってひどい有様だった。

業者さんが待ってるから、時間はかけられない。
5分でなんとかキレイにして、据え付けてもらった。
洗濯機って、冷蔵庫と違ってどけて掃除したりしないから、
買い替えは千載一遇のチャンスなんだけど、
時間がかけられないのが残念。

この洗濯機も18年使えるかな?
18年後、私生きてるかな?

仕方ないじゃない

内科の待合室に、80代の女性と60前後の息子らしい男性が座っていた。

(お母さんに付き添ってあげてるんだな、親孝行な息子さんだな)
そう思っていたら、聞こえてくるのはお母さんに対する小言ばかり。

「なんでそれ昨日のうちにやっとかないの? 普通来る前にやるでしょ、
今来てここでできないでしょ」
「そんなで来られたってお医者さん困っちゃうよ? 迷惑なんだよ?」
「だから昨日確認したのに。なんでそういう嘘つくの?」

どうやら、便を採って持ってくるはずだったのに、
お母さんは用意してなかったらしい。
そもそも「排便」という言葉がわからなかったみたい。

息子にキレられて、お母さんは少し恥ずかしそうに、
でもシラを切り通す態度が見え見え。
詰められると聞こえないふりをしたり、急に陽気になって、話題を変えたり。

そんなお母さんの態度にますます苛立ちを募らせる息子。
二言目には、
「なにそれ、意味分かんない」
を繰り返していた。

あるよなーこういう会話、私も実家の母とこういうバトルよくするもん。
でも、他人からはこう見えるんだな。

よく、道端でダダをこねて動かなくなった子をガミガミ叱りつけてる親を見て、
「あんなに小さい子に、そんな怒鳴らなくても…」
なんてつい余計なお世話で思っちゃうけど、あれと一緒なんだな。

仕方ないじゃない、赤ちゃんなんだもの。
仕方ないじゃない、おばあちゃんなんだもの。

付き添ってる息子さんは、当然お母さんを心配している。
でも、かつてはできていたり、理解できていたりした事が、
少しずつできなくなっていく母を、認めたくないのかもしれない。怖いのかもしれない。
それが、苛立ちや怒りの表現として現れてしまうのかもしれない。

一方お母さんも、衰えていく自分の知力にびっくりしたり、
それを息子に悟られたくなくて、ついついウソを言ってしまうんだろう。
母としての威厳を失うまいと一生懸命なのだ。

衰えていく人に正論をぶつけても仕方ないね。それで改善することがないのならなおさら。

次、帰省したときは、ちょっと母に優しくできそうだ。

たこ焼きはライブ

ばんごはんはたこ焼き。

私とむすこはなぜかたこ焼きが大好きで、
最近は10日に一度の間隔でたこ焼きをしている。

この頃ではむすこが生地作りと焼き方に回り、
私はもっぱら葱を刻むだけ。
すっかり焼くのが上手になったむすこを、
我が家ではたこ焼きマスターと呼んでいる。

たこ焼きが好きになったのは、大坂の屋台で食べて以来で、
東京で人気の某チェーンなどとはまるで違う、
ようやく形を保っているようなあのふわふわのテクスチャーが大好き。

もう一つ好きなものが「流しそうめん」。
割った竹で流す、イベントでよくやるあれではなく、
円形の水槽に水を流して素麺を回転させる、
九州発祥の「そうめん流し」、
あれが食べられる店が実家のある町の隣町にあって、
子供の頃から親しんでいたから。

たこ焼きにしろそうめん流しにしろ、
「持ち帰れない(持って帰るとおいしくない)」
ライブ性が共通している。
その場でしか味わえない、はかないおいしさ。
それと、それ自体はありふれていてどこにでもある、
凡庸な食材であることも似ている。

でもなぜか惹かれるんだなぁ。

ああ、梅雨が明けたら流しそうめん食べに行きたい。

多様な体験

「教育格差」ってしばしば語られて、確かにそうなんだろうなーと思う反面、
「本当にそうか?」と思うこともけっこうある。

最近よく聞くのが、
「所得の多い世帯に比べて、少ない世帯の子供は、
学校以外での体験が少ない」
というもの。

博物館や観劇、旅行などの体験をさせることは、
確かに親の所得が多くないと難しいかもしれない。
高価な用具を使う部活動、ピアノや水泳などの習い事も、
一定の費用がかかる。
そういう体験を希望する子供の願いが叶わないのは、
心が痛む。

でも、「体験格差」と聞いてよく思い出すのが、
ジャズプレイヤーを目指してNYに旅立った友達Aちゃんのこと。

陽気で頑張り屋のAちゃんのパパはトラックドライバー。
特に裕福な家庭ではなかったそうだ。

でも、パパは毎年夏になると、トラックに家族全員を乗せて海辺に連れていき、
釣った魚を焼き持参の米を炊き、そこで1週間ぐらい過ごしたそうだ。
夜はトラックの荷台に宿泊し、子供たちは海で遊び放題。
それは楽しい思い出だと、Eちゃんは楽しそうに語っていた。


きょうだいも多かったEちゃん、自力で音大に入ったものの学費が続かず中退。
しかしいろんなバンドに顔を出してセッションを重ね、
ある日NYに旅立った。

最後に会った日、
「ユキちゃんあたしね、冒険がしたいんだよ!」
と言った彼女の晴れやかな顔が忘れられない。

NYで修業したものの目立った活躍はできなかったようだが、
そこで知り合ったミュージシャンと結婚、彼の母国で出産したそうだ。
結婚祝いを贈ったら、彼女の名前を冠した曲を吹き込んだ、
新郎の作品であるCDを送ってきてくれた。

911のとき、心配になって電話して元気なことを確認したのが最後で、
それ以来行方はわからない。
でも彼女のことだから、きっとどこかで、元気にしていることだろう。

Eちゃんパパが贈ってくれた夏の思い出は、
今はコンプライアンス関係でちょっと難しいかもしれないが、
お金をかけなくてもできる、豊かな体験ってたくさんあると思うんだ。
近所にいる虫や植物を観察するだけだって、じゅうぶん豊かな体験になりうる。
図書館は無料でその手伝いをしてくれる。
願わくは、親が無理でもその後押しをしてくれる誰かがいてほしい……

高偏差値校に入る、高収入の仕事に就く、
それとは別の豊かな人生を、そんな体験が築いてくれるかもしれないと思う。