ここで言っているシンプルライフとは?
ところで、ここで言っている「シンプルライフ」とはどんなものか?
耳ざわりがいいけど具体性に欠けるこの言葉、みんながそれぞれのイメージを持っていると思います。
「モノを(全然)持たない暮らし」なのか?
「何でも手作りしてゴミを出さないSDGs系の暮らし」なのか?
「すべてお気に入りの(時として高価な)モノに囲まれた、センスのいい暮らし」なのか?
10人いれば10通りの「シンプルライフ」があるのでしょう。
なのでここでは、私なりのシンプルライフについて、ちょっと言っておきたいなと思います。まあ、ただ私が思ってるだけで、これがシンプルライフだ! なんて言うつもりはサラサラないですけどね。
(私のシンプルライフは)ミニマルライフじゃない
ミニマリズムがもてはやされるようになってからは、「シンプルライフ=ギリギリまでそぎ落とした伽藍洞のような部屋」がイメージとして定着したかもしれません。
椅子もない、テーブルもない、冷蔵庫さえなく食器は応量器一揃いのみ……といったライフスタイルも、最近ではあまり驚かれなくなりました。
しかし、私自身はこの暮らし方を「シンプルライフ」と呼んだことはないし、自分が実践したこともありません。カッコいいけど、長く続けられるものではないし(私はね)、特にやる必要を感じたことはありません。
ミニマムな暮らしは、体力かお金のどちらか、あるいはどちらもないと難しいと思います。人は、モノによって支えられ、モノによって形づくられている側面があると思うからです。本当にモノが何も要らないのであれば、こんな社会は形成されなかったし、逆に言えばこんな社会があるから、モノを持たなくても暮らしていけるのです。
普通、年をとるごとにモノは増えていきます。
若い頃視力が良かった私も、今では老眼鏡のお世話になり、高血圧家系のため、血圧計だって持っています。長生きすれば、入れ歯のケアグッズとか、杖なんかも必要になるかもしれません。失った体力や健康は、モノで代替しなければ生きていけません。
また、私は料理が好きで(別に上手じゃない)、特に近年タイ料理にハマってからは、家族に困られながらもせっせと作っては喜んでいます。
ある時とうとう、タイ料理に必須の「クロック」(石臼)を買ってしまいました!
モノは、なるべく一器多用し、代用したり省略することで増やさずにいられるものです。最初は私も、すり鉢と麺棒で頑張ってスパイスを潰していました。それでもできなくはないですが、毎日のように作るには、無理がありました。第一、楽しくない。
クロックを買った日から、すり潰す作業が何倍も楽しくなりました。香りの立ち方が違う! なんて楽しいんでしょう!
あれもこれも持てば居住空間が狭くなるし、管理も大変になります。持ちすぎるのは厄介で、暮らしを窮屈にさえします。
でも、本当に好きなもの、本当に必要なものは、もう自分の一部なのですから、我慢することはないと思う。「どうせ死ねば全部ゴミ」かもしれませんが、まだ生きてるんだもの。生きているうちは、自分らしく生きるために、モノは必要なんです。
「モノを持たない」を金科玉条にしてしまうと、「持たない」ことが自己目的化しはじめます。いちばん持っていない人がいちばんエライなら、それは死者ということになってしまう。
趣味で「持たない」ならいいと思います。健康で、お金があれば可能です。
でも、それを至上と考えると、逆に窮屈になるし、それを他人に誇ったり、押し付けたりすることがない方がいいとも思います。