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桜とホームレス

都内を歩いていたら、
桜ーーといってもソメイヨシノではない品種ーー
が咲いていた。
すぐ近くには梅が満開。

寒さの厳しかった今年の冬だが、
春はずいぶんと早いらしく、
都内の開花予想日は17日だという。
今日もずいぶんと温かだった。

名前のわからないその桜の近くのベンチに、
ホームレスらしき男性がくつろいでいた。
台車の上にたくさんの荷物を載せている。

ホームレスに遭遇すると、
見るとはなしにその荷物に目が行ってしまう。
どの人も、一様に大量のモノを持ち運んでいる。
あの中身は何なのかーー

「カバンの中身見せてください」
という雑誌の記事のように、
あの台車に積んであるものを一平面に並べたら、
いったいどんなものがどのくらい出てくるのだろう。
そんな悪趣味なことをつい考えてしまう。

現代生活にモノは要らない、
そう言われるようになって久しいけれど、
それはほんとうは、とても恵まれた、
ある意味特殊な環境においてのみなんだ。

12年前の今月、それをイヤというほど思い知らされた。

桜の開花予想日まであと10日。
東日本大震災の日まで、あと4日ーー

例によって写真がアップロードできなかったので、似たような過去の写真を使ってみた。
でもこれ、桃かな?
キャプションも真下に来ないし、左ゾロエにならないや
 

悲しい光景

今日見た光景が今も思い出すとつらい。

東京駅と神田駅の間の、工事中のガード下のすぐ前にその人はいた。

段ボール一枚敷いた上の路上に横たわっていた。

右半身を下にして、両腕を腿の間にはさんで丸くなっていた。

キャンバス地のスニーカーも、ジャージのような洋服も、

すすけたように汚れて、ところどころ擦り切れて、

髪は伸びていたが髭はさほどでもなく、もしかしたら、まだ若いのかもしれない。

その寝ている場所、通りこそ少なかったとはいえ、

歩道と高架のほぼ真ん中だったのだ。

本来人の歩くエリアに横たわり、泥のように寝入っている。

これと同じ光景を、80年代の最後頃に、アメリカ西海岸で見た。

ロサンゼルス中心部、リトルトーキョーと呼ばれるエリアのすぐ近くの路上に、

まるでドミトリーの宿泊者のように、

大通り沿いの歩道にズラリと枕を並べていた。

恐ろしいところだな、とその時は思った。

宿泊していたホテルは、清潔で、空調も利いていて、

文句のつけようのない高級日系ホテルだったから、その落差にクラクラした。

ブッシュ政権からクリントン政権に移行した頃だったと思う。

ホームレスは東京にだっていつもいたけれど、この日見た彼ほどひどい有様のホームレスは見たことがなかった。

何も持っていないのだ。

ホームレスにつきものの手押し車にごたごたと積んだ紙袋も、段ボールやビニールシートでこしらえた家も、夏でも毛糸の帽子やキルティングの上着も、何一つとして。

さらには、壁際にくっついてうずくまることすらせずに、往来の真ん中のようなところに、身を投げ出すようにして横たわっている。そこに何より衝撃を受けた。

まるで、すべての攻撃から逃れることを、生きることそのものをあらかじめあきらめたかのようなその姿に、肚がぞわっと寒くなったのだ。

私は反射的に、目でコンビニを探していた。

この人に何か食べさせた方がいいんじゃないだろうか。

しかし、再開発の工事が続くその周辺にコンビニはなく、麺料理の店が一軒あるきりで、

それも昼休みの看板を下ろしていた。

なおもコンビニを探してその人から遠ざかりながら、以前同じようなことがあったことをまた思い出していた。

クルマの往来の激しい国道沿いを歩いていたときのことだった。

駅の方へ向かう歩道橋を下りていったら、階段の曲線の下の隙間に段ボールや衣類が積み重なっていて、その上に人が倒れている。苦しそうに顔をゆがめていた。

ビックリして、

「あのーー、大丈夫ですか……?」

と声をかけ、近づこうとしたら、ホームレス然とした風体のその人はガバっと起き上がり、

「なんだてめー!? 見てんじゃねーよ!!」

と、拳を上げて威嚇してきたのだ。

周囲に人影はなく、あわてて逃げださなかったら、本当に殴られていたかもしれない。肝を冷やした。

倒れている人を見て、反射的に声をかけてしまったのだが、その人は倒れていたわけではなく、単に休憩していたのかもしれない。まあ、一般的に人が休憩するような場所ではなかったが、声を掛けたのは私のおせっかい、余計なお世話だったのだろう。雨露をしのぐ場所を確保したかったその人にとっては、視線を向けられること、介入されることこそ何より腹立たしいことだったに違いない。

コンビニはなかったが、何か食べるものが買えそうな店のある所までたどり着いた頃、そこで何か買って、さっきの路上に届けるという考えは消えつつあった。そんなことをして何になるんだ。余計なお世話。一食くらい与えたからといって、何が解決するわけでもないだろう。ああなるに至るにはそれなりの過程があったはずで、それが並大抵のことであるはずがない。彼の人生に介入する義務はおろか権利もない私が、ここで何か行動しようなどと考えること自体おこがましい。

足取りは次第に重くなり、どうしたらいいかわからなくなった。数十秒、その場所に立ち尽くした後、私は駅に吸い込まれ、自分の住む町へ向かう電車に乗り込んだ。

子供のような自分、無力な自分。

倒れていたあの人の手足も、汚れて細く、力がなさそうだった。

豪華ではないけれど、必要なものすべてがある、安心できる自分の家に帰り着いてからも、あの寝倒れていた姿が目に浮かんで、心は晴れなかった。