今日見た光景が今も思い出すとつらい。
東京駅と神田駅の間の、工事中のガード下のすぐ前にその人はいた。
段ボール一枚敷いた上の路上に横たわっていた。
右半身を下にして、両腕を腿の間にはさんで丸くなっていた。
キャンバス地のスニーカーも、ジャージのような洋服も、
すすけたように汚れて、ところどころ擦り切れて、
髪は伸びていたが髭はさほどでもなく、もしかしたら、まだ若いのかもしれない。
その寝ている場所、通りこそ少なかったとはいえ、
歩道と高架のほぼ真ん中だったのだ。
本来人の歩くエリアに横たわり、泥のように寝入っている。
これと同じ光景を、80年代の最後頃に、アメリカ西海岸で見た。
ロサンゼルス中心部、リトルトーキョーと呼ばれるエリアのすぐ近くの路上に、
まるでドミトリーの宿泊者のように、
大通り沿いの歩道にズラリと枕を並べていた。
恐ろしいところだな、とその時は思った。
宿泊していたホテルは、清潔で、空調も利いていて、
文句のつけようのない高級日系ホテルだったから、その落差にクラクラした。
ブッシュ政権からクリントン政権に移行した頃だったと思う。
ホームレスは東京にだっていつもいたけれど、この日見た彼ほどひどい有様のホームレスは見たことがなかった。
何も持っていないのだ。
ホームレスにつきものの手押し車にごたごたと積んだ紙袋も、段ボールやビニールシートでこしらえた家も、夏でも毛糸の帽子やキルティングの上着も、何一つとして。
さらには、壁際にくっついてうずくまることすらせずに、往来の真ん中のようなところに、身を投げ出すようにして横たわっている。そこに何より衝撃を受けた。
まるで、すべての攻撃から逃れることを、生きることそのものをあらかじめあきらめたかのようなその姿に、肚がぞわっと寒くなったのだ。
私は反射的に、目でコンビニを探していた。
この人に何か食べさせた方がいいんじゃないだろうか。
しかし、再開発の工事が続くその周辺にコンビニはなく、麺料理の店が一軒あるきりで、
それも昼休みの看板を下ろしていた。
なおもコンビニを探してその人から遠ざかりながら、以前同じようなことがあったことをまた思い出していた。
クルマの往来の激しい国道沿いを歩いていたときのことだった。
駅の方へ向かう歩道橋を下りていったら、階段の曲線の下の隙間に段ボールや衣類が積み重なっていて、その上に人が倒れている。苦しそうに顔をゆがめていた。
ビックリして、
「あのーー、大丈夫ですか……?」
と声をかけ、近づこうとしたら、ホームレス然とした風体のその人はガバっと起き上がり、
「なんだてめー!? 見てんじゃねーよ!!」
と、拳を上げて威嚇してきたのだ。
周囲に人影はなく、あわてて逃げださなかったら、本当に殴られていたかもしれない。肝を冷やした。
倒れている人を見て、反射的に声をかけてしまったのだが、その人は倒れていたわけではなく、単に休憩していたのかもしれない。まあ、一般的に人が休憩するような場所ではなかったが、声を掛けたのは私のおせっかい、余計なお世話だったのだろう。雨露をしのぐ場所を確保したかったその人にとっては、視線を向けられること、介入されることこそ何より腹立たしいことだったに違いない。
コンビニはなかったが、何か食べるものが買えそうな店のある所までたどり着いた頃、そこで何か買って、さっきの路上に届けるという考えは消えつつあった。そんなことをして何になるんだ。余計なお世話。一食くらい与えたからといって、何が解決するわけでもないだろう。ああなるに至るにはそれなりの過程があったはずで、それが並大抵のことであるはずがない。彼の人生に介入する義務はおろか権利もない私が、ここで何か行動しようなどと考えること自体おこがましい。
足取りは次第に重くなり、どうしたらいいかわからなくなった。数十秒、その場所に立ち尽くした後、私は駅に吸い込まれ、自分の住む町へ向かう電車に乗り込んだ。
子供のような自分、無力な自分。
倒れていたあの人の手足も、汚れて細く、力がなさそうだった。
豪華ではないけれど、必要なものすべてがある、安心できる自分の家に帰り着いてからも、あの寝倒れていた姿が目に浮かんで、心は晴れなかった。
生きることをあきらめたような姿、はショックですね…。
拳を振り上げた人は咄嗟に威嚇してしまったのかもしれませんが、自分を心配して声をかけてくれた人がいたことを、後から嬉しく思ったかもしれません。私の勝手な想像ですが。
話がそれますが、今、家族が精神病棟に入院していて、何というか、「社会に適応できない人」「社会のお荷物」扱いされているように感じて傷付いていたので、金子さんのように自分のことのように心配してくれる優しい方もおられるんだなあと嬉しくなりました。
自分も、無自覚に人を差別してきたのではないかと気付きました。
自分も病気になったり、ホームレスになることもあるかもしれない。
少なくとも、自分とは無関係と切り捨てて見下すような人にはならないようにしたいと思います。
あゆみさま
ブログがこのような体たらくですので、お返事が遅くなってしまいます、すみません……
ご家族のこと、ご心配ですね。おつらいことと思います。
以前、取材させていただいた方が、やはりご家族が心の病で入退院を繰り返しており、
大変な思いをされているのをお聴きしたことがあります。
ご家族の苦しみは、時として患者さん以上のようですね。
「この苦しみさえなくなれば」
と思うのですが、でも、もしかしたら、
「それ」も込みで人生、
「それ」も込みで世界なのかな……
と、年をとって思うようになりました。
年をとるにつれそう思うようになりました。
ご返信ありがとうございます!お優しいお言葉、胸に沁みました。
そうですね、少しでも人の痛みを察することができるようになりたいと思えたのは良かったかなと思います。