信じない人

今日、思い出したこと。

10年以上前に、ある集まりでたまたま会話を交わした、当時70代なかばの男性。
公務員の職を引退してからは、趣味のカメラを手に、自治体から交付される高齢者用のパスを活用して、あちこちに出かけては楽しんでいると話してくれた。

話上手で陽気な彼は、現役時代のエピソードを面白おかしく語った話の切れ目に、ふとこんなことを言い出した。

「私は、一切のモノを信じていません」

長年連れ添った夫人を亡くしてからは、家も土地も処分して老人ホーム暮らしをしているという。

「私は旧満州で生まれました。そこで何不自由ない暮らしをしていたが、日本が戦争に負けた。日本人は皆、着の身着のままで逃げた。小学校低学年だった私は、敗戦の混乱の中で家族を失い、引き上げ船を目指して逃げる日本人集団に、たった一人でくっついて行ったんです。その途中、道に転がるいくつもの死体を見ました。誰もそれにかまう者はなかった。あの時から私は、一切のモノは無意味だと確信したんです」

さっきまでの楽しげな様子とさほど変わらない表情で、淡々と彼は語った。
夫人の墓は作らなかった。詳細は忘れたが散骨したような話だった。子供はない。自らの死後は何も残らないよう、すでに手筈は整っているそうだ。

墓を作らなかったこと、家屋敷を黙って処分したことなど、親戚からさんざん非難されたと笑った。その笑いは、どこか乾いていた。

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