40年目のお花見

学生時代からの長~い付き合いの友二人と、
久しぶりにお花見に出かけた。
この二人、実に40年来の付き合い!!

一人は高齢の親ごさんと同居していたし、
もう一人は会社で責任ある立場。
浮かれて花見なんかできるこの3年じゃなかったのだが、
このお正月、友1のご母堂が93歳の大往生を遂げたこと、
コロナをめぐる縛りが緩和されたことから、
3年以上ぶりに集まることになったのだった。
(実際は、お線香をあげに先々月お邪魔したのだが)

あいにくの雨だったけど、いろいろあったこの数年を振り返りつつ、
喋りに喋った6時間!
年を重ね、お互い変化はあるものの、
こういう友人とはいくらでも、いつまででも喋れてしまう。
(いつの間にか、年金とお墓の話になってしまうけど)

ともあれ今回の結論は、
「あたしたちのおばさんっぷりも、いい具合に仕上がってきたじゃないの」。
こんな風に付き合える友がいる限り、
年をとるのは全然悪くない。

今回は隅田川から雷門と、浅草を歩き回ったが、
まあ世界中から人が集まっていたこと!

インドの新婚さんがドレス着て桜の下で撮影会していたり、
中国の女子大生が小紋着て人力車でキャッキャしていたり、
久しぶりに見る華やかな光景に、
この平和がいつまでも続きますようにと願わずにはいられなかった。

吊るすとラク

この前、ちょっと風変わりな人を見かけた。

昔の「オタク」風の風貌の男性で、
どうやら推し活遠征をしているらしい。
何かがぎっしり詰まったリュックが足元にあり、
何より風変りだったのは、
首から紐でいくつもの透明なポーチをぶら下げていたこと。

ポーチはやや丈夫なファスナー付きのビニール製で、
一つには何かわからない紙類が、
もう一つにはさまざまな色のサインペンが、
もう一つは下になっていて見えなかったが、
いずれもぎっしり詰まっていた。

かなり重そうだけど、たぶん彼にとっては使い勝手がいいのだろう。
いろいろなものを書き留めたり、書いたものを分類したり、
そういうことに使っているようだ。

「吊るす」って本当に便利。
同じ数のものを平面上に並べたら、
すごく広い面積が必要になるし、
それらを畳んだり重ねたりすれば面積は減らせるけど、
今度は探し出す・取り出すのがタイヘンになる。

その点「吊るす」は、占める平面が少なくて済む上に、
検索性が格段に高い。

私はインドネシアやベトナムに行くのが好きなのだが、
東南アジアの国々で見かけるちょっとした売店や屋台は、
この「吊るす」ディスプレイを実に巧みに駆使していて感心する。

女性一人で押して歩けるような小さな屋台に、
びっくりするほど大量の菓子類が吊るされていたり、
市場の洋品店に、膨大な枚数のシャツやドレス、
バッグ類が吊るされていたりするのを見ると、
「吊るす」って優秀な収納手段だなあと思わずにはいられない。

掛けたり戻したりが容易で、一目で見つけられる「吊るす」収納だが、
欠点もあって、吊るし方をよくよく考えないと、
乱雑で汚らしく、かえって見つけにくくなってしまう。

でも、たたんだりきれいに揃えたりするのが苦手なら、
とりあえず吊るしておけば、
最低、床の上にモノを置かずに済むというメリットがあるので、
忙しい人、疲れている人にはいい方法だと思うんだ。

火と水の11日

先週の土曜は11日だった。
12年前のあの日から、干支一周したんだな。

なんとなく落ち着かない気持ちで朝、
台所の蛇口のレバーを押し上げたら、
なんとバキっと折れて落下し、
震災の頃から使っていたグラスが一個割れた。

さあ大変、水が出ない。

正確には、レバーを無理やりねじこんでそーっと上げ下げすれば、
出なくはないけど、やっぱりすぐに取れてまた落ちてしまう。

仕方なく業者を呼んだら、割合すぐに来てくれたんだけど、
レバーが折れただけじゃなく、
水栓の根元が弱って傾いていたらしく、
全とっかえしなければ無理ということがわかった。

カタログでそれらしいのを見繕って即発注したものの、
取付は週明け以降。
それまでだましだまし使うしかない。
ついてないなぁ。

そこでハッとした。
人こそ違うけど、11年前のこの日、
同じ会社に、その時はガス給湯器の修理をしてもらっていたんだ。

「直りましたよ。お湯出してみましょうね」
と技術者の人が言った途端、
人生最大の揺れが……

「これが本当に止まったの、初めて見ました」
安全装置が働いて、ガスは止まっていた。

お湯は出るようになったけれど、
その後は長く不安な日々を過ごすことになったんだ……
もちろん、東北の人たちの苦難とはくらべものにならないが……

あの日は、火。
今回は、水。
奇しくも同じ日に、同じ業者に来てもらうことになって、
なんとも不思議な気持ちになった。

震災のときも、ようやく来たバスに乗りながら、
「走ってくれてありがとう!」
開けてくれたスーパーに、
「売ってくれてありがとう!」
という気になったもんだ。

目に見えない大事なものを、
災害はあの時あぶりだして見せてくれた。
火も水も、当たり前に出るものじゃなく、
こういう人たちの誠実な仕事があって初めて使えるものなんだ。

それから数日経って水栓は交換され、
快適な日々が戻ってきた。
実は、あの後さらにグラスをもう一個、
割ってしまったのだった……

床にモノを置かない

若い頃、洋画に出てくる部屋ってどうしてみんな素敵なんだろうと思っていた。
登場人物が貧しい若者という設定でも、
日本のアパートなんかじゃあんなにならない。
日本の家は狭くてモノが多いからダメなのかなぁ。

でも、だんだんわかってきた。
日本の室内がごちゃごちゃして見えるのは、
「広い平面」が圧倒的に少ないことが大きな理由だ。

出入口も押し入れも引き戸の和室には壁が少ない。
開口部の少ない欧米の部屋には壁がいっぱいある。
壁の少ない和室で暮らしていた頃、
ポスターを貼る場所にみんな困ったはずだ。

床の上もそう。ついモノを置いてしまう。
私たちは畳の上に直接モノを置くことに躊躇しない。
日本人にとって畳の上は「清浄な空間」だから。

畳がフローリングに変わっても、靴を脱いで暮らすスタイルは変わらないから、
やっぱり床にポンポン置いてしまう。
これが土足で入る部屋だったら、やっぱり違うんじゃないか。

次に広い面積を持つ食卓について言えば、
囲炉裏で食事をし、囲炉裏でくつろいできたDNAのせいか、
私たちは食卓にあらゆるものを持ち込んで置きっぱなしにしてしまう。
財布や携帯、薬に化粧品、本や新聞、おもちゃに手芸用品……

昔の、たぶん1965年より前の日本の家庭には、
モノなんてたいしてなかったから散らかりようがなかったのに、
生活習慣はそのままで、モノだけ大量に流入してきたせいで、
以降50年以上、片付けに苦労する羽目に陥ったんだねぇ。



ーー

銀河系の入口

神田駅で電車に乗ろうとしていたら、
繰り返し同じアナウンスが流れている。

「この改札は、銀河系の入口ではありません」

JR、春のキャンペーンにしては壮大だな。
ディスティネーション宇宙か?

周囲を見回したがそれらしいポスターはない。

しかし、何度か聞いているうちにやっとわかった。
銀河系ではなく、「銀座線」だった。
(写真は東京駅)

偲ぶ会

昨年急に亡くなってしまった友人は、
近所でカフェを経営していた。

店も閉まってしまい、そこで会っていた常連さんとも、
それきり顔を合わすこともなくなっていたのだが、
たった一人だけ、LINEを交換していた人がいた。

彼女に連絡をとり、なんとか「偲ぶ会」的なものをしたいですね、
と言っていたのが、彼女も一人だけ知っていた常連さんに声をかけ、
その一人がまた一人に声をかけ、
なんとか7人が集まることになった。

場所は、閉店してすぐに借り手のついた同じ店で。
なんだか妙な気分だが、そこがいちばん集まりやすい。

すると、予約の経緯を知った新オーナーが気を利かせ、
故オーナーのお子さん(成人)に知らせてくれたことで、
お子さんも顔を出してくれることになった。

知らない同士もいたけれど、
故人をめぐるエピソードに花が咲き、
よく似た面影のお子さんともお話しができ、
とても充実した会になった。

自分以外の人とふれあうことで、
うすぼんやりした悲しみが言葉を得て、形を得て、
体の中から吐き出されていく。
感情も成仏するのだろうか。

故人の生き方考え方を反映して、
戒名はなく、お骨の一部は海に撒いたそうだ。

最後に会った日、
しばらく治療に専念する、と言った彼女の手を握って、
「じっくり治して!」
と励ましたつもりだった。
その手は暖かかったのに。

もう会えない悲しみはいましばらく続くだろう。
でも、そんなに悲しいことでもないのかもしれない。
私も同じ方向に進む流れに乗っているのだから。

モノなんてなんだっていい

4月から新生活を始める若い人、
今からワクワクしてるんだろうな。

私が学生寮を出て一人暮らしを始めたの、
今から38年前だわ。
(書いてて驚く…… 太古の昔やん)

目黒の四畳半からのスタート。
世の中はバブルに浮かれてるのに、
学生の自分には特に恩恵もなく、
何もないところから始めた暮らしだけど、
楽しかったなぁ。

その頃から持ってるものって、
おかんがその辺で買ってくれたステンレスのボウルぐらいだわ。

逆に言うと、金属のものって長く使うことになるから、
気に入ったもの買った方がいいんだろうけど、
二十歳やそこらでそんなこと考えないよね。

いいんだよその辺で買ったもので。
けっこう、40年使えるよ。

桜とホームレス

都内を歩いていたら、
桜ーーといってもソメイヨシノではない品種ーー
が咲いていた。
すぐ近くには梅が満開。

寒さの厳しかった今年の冬だが、
春はずいぶんと早いらしく、
都内の開花予想日は17日だという。
今日もずいぶんと温かだった。

名前のわからないその桜の近くのベンチに、
ホームレスらしき男性がくつろいでいた。
台車の上にたくさんの荷物を載せている。

ホームレスに遭遇すると、
見るとはなしにその荷物に目が行ってしまう。
どの人も、一様に大量のモノを持ち運んでいる。
あの中身は何なのかーー

「カバンの中身見せてください」
という雑誌の記事のように、
あの台車に積んであるものを一平面に並べたら、
いったいどんなものがどのくらい出てくるのだろう。
そんな悪趣味なことをつい考えてしまう。

現代生活にモノは要らない、
そう言われるようになって久しいけれど、
それはほんとうは、とても恵まれた、
ある意味特殊な環境においてのみなんだ。

12年前の今月、それをイヤというほど思い知らされた。

桜の開花予想日まであと10日。
東日本大震災の日まで、あと4日ーー

例によって写真がアップロードできなかったので、似たような過去の写真を使ってみた。
でもこれ、桃かな?
キャプションも真下に来ないし、左ゾロエにならないや
 

くまのもなか

先日のことだけど、
長いお付き合いの方からお菓子をいただいた。
すっごくかわいい、熊の形の最中。

最近見るようになった、皮と餡が別々になっていて、
食べる直前に自分でサンドするタイプ。
これ、楽しいね!

皮はパリパリだし、添付のあんこはどっさりだし、
何よりこのあんこが飛び切りおいしい。

食べながら、
「北極にはホッキョックグマがいるけど、
南極にナンキョクグマっていないよな。
大陸なんだから、いてもよさそうなのに」

あと、地球温暖化の話になると、
必ずといっていいほど、南極の氷が溶けたら水位が上がってタイヘン、
というけど、
北極の氷だって溶けるだろうに、
北極の氷については誰も何も言わないなあ。

そう思って調べてみたら、
「地球の歴史の中では比較的最近誕生したクマは、
北半球で生まれて北半球で繁栄してきた。
冬になると北半球高緯度の大陸は凍って北極の氷と地続きになるから、
クマは北極に進出したけど、
南の大陸は冬になっても南極と地続きにならないので、
クマが南極に渡る方法はなかったし、
そもそも南半球は遠すぎるから行かない」

だって。

あと、北極の氷が溶けるとどうなるかについては、

「全部溶けても、全世界の海水面が数センチ上昇する程度」
なんだそう。
南極のは、大陸の上に降った真水の氷で、
途方もなく大量にあるのに対し、
北極の氷は海水だし、
見えてる部分の氷が溶けても、
海水に戻るとだいぶ嵩が減るらしい。

このところしょんぼりしていた私に同情して、
おいしい熊を送ってくださったSさん、
ありがとうございました。

自作できる最中 下の皮はちゃんと後ろ姿 あんこが絶品でした

丘の上の塔

時々通る道から見える、不思議な塔。
あれ何だろと前から思っていて、
ようやく昨日行ってみた。

「羽鳥調圧塔」


千葉県佐倉市の羽鳥地区の小高い丘の上に立っている。
利根川~印旛沼の水を、
五井姉崎(東京湾内房方面)の工業地帯に供給するための施設の一部らしい。

鋼鉄製高さ42m

印旛沼の水は、製鉄所で出来立ての鉄を冷却するのに使うと聞いたことがある。
その時は、
「製鉄所って海辺なんだから、水いっぱいあるじゃん」
と思ってすぐに、
「あっ、塩水か……」
と反省した記憶がある。

遠目にも風変りなこのフォルム、
どこかで見た気がすると思ったら、
内房富津の丘の上に立つ東京湾観音に似てる。

高さ56mコンクリート製

よく見ると、塔の頂上には四方を見渡せそうな窓がついていて、
ちょっと面白いロボットみたい。
あそこに上がってみたいな~。