自力で思い出す

スマホがあると、いちいちパソコンを開けなくてもいろいろ調べられて便利だ。
でも、年々スマホに頼る頻度が上がってきて、なんだか不安だ。

てのひらのなかのこの薄っぺらい板に全世界が入っているかのように、
その板を握る自分が全世界を握っているかのように、
いつの間にか錯覚してしまいそうで気味が悪い。
本当は、この板がなければ何ひとつ思い出せない空っぽな頭しかないくせに。

とはいえ、年齢とともに思い出せない場面がどんどん増えてきて、
人の名前や作品名、ものの名前など、
一日に何度も「あれ何ていったっけ……」と立ち止まる。

そんなとき、切羽詰まった状況でなければ、
時々検索しないで自力で思い出すようにしてみている。

言葉がすぐに出てこないのはもどかしいけれど、
どうにかして自力で思い出す訓練をしておかないと、
もはやスマホなしで生きていけなくなってしまいそうだから。
(もはやそうなっているのだが……)

先日、映画の『日本沈没』をテレビの録画で観て、
かなり原作に忠実に制作されているのに感心したところなのだが、
数日たって、その話をしている時、
「あれ? 著者って誰だっけ」
顔は出てくるのだが、どうしても名前が思い出せないのだ。

でもググるのはイヤなので、一生懸命考える。

こういうとき、頭に浮かぶ言葉を、関係がなさそうでも、
書き連ねていくといいらしい。

この時書き留めたのは、

・松本清張
・泉鏡花
・大橋巨泉
・沈まぬ太陽
・眼鏡

松本清張が出てきたのは、何となくわかる。眼鏡も共通してるし。
「沈まぬ太陽」は山崎豊子だが、それも何となくわかる。
しかし、あとの二人は、全然関係なさそう。なんでこの二人が……?

しばらく考えてもやっぱり出てこなかったのであきらめて、
ほかの作業を始めた。
だいたい、ほかのことをしていると、20~30分後に、
急に思い出すことが多いのだ。

案の定、30分近く経ってから、立ち上がる拍子にふっと出てきた。
「小松左京!!」
自力で思い出せた嬉しさに胸がすっとしつつ、
「にしても何でこの二人?」
と訝った瞬間、はっと腑に落ちた。

「左京」の「きょ」の音だ!

記憶は、脳の中の棚のような場所に、
似たものとまとめて格納されていると聞いたことがある。

時代は違うが作家である「きょうか」
作家ではないが同時代の「きょせん」

は、「さきょう」の隣の棚に入っていたのだろう。
記憶ってこうなっているのか……と面白かった。

今までもこの方式でいろいろな言葉を自力で思い出している。
これからも、時には検索に頼らず、
自力で思い出してボケ防止に努めようと思う。

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