シンプルに楽しく暮らす」カテゴリーアーカイブ

モノを持たないことだけがシンプルライフとは思っていません。過不足なく、その時々に応じて柔軟に持ち、できることを増やしていきたい。

掃除はあとずさりで

『人気宿泊施設「星野リゾート」の掃除術』
というテレビ番組を見つけたので、例によって録画視聴した。

たくさんある客室をいかに効率的に掃除するか、
という内容で、一般家庭とは少し違うものの、
なるほどフムフムと見ていた。

「決して後戻りせず、一筆書きのように」
という掃除の最後は、
「後ずさりして掃除機をかけながら部屋を出る」。
これは、髪の毛を落としてしまわないためだそう。

気をつけていても、髪の毛は落ちる。
そして、たった一本の髪の毛が落ちていることで、
どんなに丁寧に掃除しても、いっぺんで評価は下がってしまう。
それを防ぐための後ずさりなのだ。

1DKのアパートに住む娘が、
「掃除しても掃除しても、どういうわけか髪の毛が落ちてるのがイヤ。
 もう、ボーナスでルンバ買おうかな!」
とボヤいていたが、
自分一人しかいなくても、髪の毛って落ちるし、
イラっとする。
ましてや他人の髪の毛ならなおさら。

髪の毛に関しては、私も娘と同じ気持ちだけど、
ここでちょっと考える。

この前も、掃除が終わってフローリングモップをいつもの場所(洗面所)に戻し、
くるっと向きを変えた途端、足元に髪の毛を見つけてしまった。
もちろん、自分の。

掃除しながらだって、髪の毛は落ちるのだ。
集まるゴミやホコリの中身は、大部分が髪の毛と脛毛(夫と息子)。
人は、毛をまき散らしながら生きているのだ。

プロだから、髪の毛を落とさぬために後ずさりまでするけど、
我々がそこまで躍起になる必要、あるだろうか。

いいんだよ、自分の家なんだし、自分の毛なんだから。
気になったらつまんで捨てればいいだけのこと。
そんな、のべつ掃除機を転がしてたら、くたびれちゃうよ。

外でごはんをつくりたい

育った家は元農家なので、ライフスタイルも農家のそれだった。

農家では、行事食など大がかりな調理をする際、
台所ではなく庭でやることが多い。

蕎麦やうどんを打つとか、
大量に採れた山菜のあく抜きをするとか、
正月の餅つきのためのもち米を蒸すとか。

現代の台所は明るくて設備もよく、
家の中でやってもよさそうな作業を、
今でも農家はわざわざ庭でやる。

「汚れるから、外なら片付けなくていいし」
などと言うけれど、たぶんそれが主要な理由じゃない。
屋外でやるこういう調理には、
「季節の恵み」「彼岸や正月」
といったイベント性、祝祭性があった。

小さな「ハレ」を楽しむために、
いつもと違う環境が必要だったのかもしれない。

それに、昔は家族が多かったから、
こういう作業はもっと大人数でやったに違いない。

昔の台所は暗くて狭かったから、
広々とした屋外で作業した方が安全で、効率もいいのだ。

実家でも、父が元気なときは、
「あまや」(広い庇のついた納屋)の軒先で蕎麦を打ち、
庭に設置した、一斗缶で作った竈を使って湯がいた。

外で作り、外で食べる料理は、
なぜだかいつもよりおいしかったし、楽しい思い出になっている。

父も母も、
「あの頃」の楽しい気持ちを思い出したくて、
家族の人数が減って、屋内の台所で調理できるのに、
わざわざ外に道具を持ち出していたんじゃないかな。

そんな私も、キャンプやバーベキューで、
外でごはんを作るのが好き。

家族の少ない時代なので、友達と一緒に、
それもまた楽しい思い出になっていくんだよ。

この春まで数年間、そんなこともできなかったけど、
今年はまたやってみたいな。
久しぶりだからやり方忘れちゃったかもしれないけど。

直して使う椅子

うちでいちばん人気のある椅子は飛騨産業のこれ。
ダイニングチェアにしては座面が低いけど、
うちの食卓は高さ62センチなのでちょうどいい。
(高さの根拠は、敬愛する秋岡芳夫先生の著作より)
本当に座り心地がよくてラク!
読書にも最適。

実はこれ、リサイクルショップで1万円で買った掘り出し物。
ちゃんとキツツキマークもついてる。
今、これと似た形の隈研吾さんの椅子があるけど、
30万円くらいしてとても買えない💧

座面に破れがあるけど気にせず使っていたら、
さすがにガタがきて、曲木のアームが割れてしまった。
飛騨産業に修理ができるかどうか問い合わせたら、
できるという。すごい技術力だ~!
でも、修理代高いだろうな……

とりあえず見積を出してもらうために、
六本木ミッドタウンにあるショップに送ったら、
5万以内で直るということでホッと胸をなでおろす。
さすがに修理に5万以上かけるのはキツいけど、
こんな美しいものを捨てるのは心が痛んだろうから。

1か月くらいかかったかな?
返ってきた椅子は、塗装も新たに、
すっかりきれいに直っていた。

(座面の革も張り替えたかったけど、
そうするとあと2、3万はかかってしまうので見送り……)

その後も家族の間で取り合いの人気のこの椅子、
あと何年使えるだろう。
もし、まだ長く使えるなら……
(むすめが虎視眈々www)



ベスト完成

連休の最終日は大雨。
なので、作りかけだったベストを完成させました。

ベストが私の体型に合っていて、
私の行動や生活にも合っていると気づいたのは、
洋裁教室に行っていた時でした。

洋裁を学ぶと(学ぶというほど学んでもないけど💧)、
それまでぼんやりとしかわかっていなかった自分の体型がイヤでもわかります。

背が低くて寸胴、ということはもちろんわかっていたけど、
・上半身が短い
・首が短い
・加齢もあって体に厚みが出てきた
・下半身は意外に細い
と、細かいところがはっきりしてきました。
最近ポピュラーになってきた骨格診断でいえば、
もちろん「ストレート」タイプ。

これからわかったのは、
・板のように張りのある生地が合う
・あまりウエストマークしない方がいい
こと。

そこで、同系色を選ぶことで上下一続きになって見える着方ができる、
ベストを採用することにしました。
以前から、ベストを着るとなぜか安心感があったのはこのせいか~。

といっても、私の短い上半身に合うベストって意外に探せない。
探せても、そればかり着るので傷みが早い。

そこで今回作ってみました。
型紙は、以前作ったジャンパースカートの上半分を流用した、
ごく簡単なものです。
(香田あおい先生著『長く着られる大人服』より)
数をこなして少しずつ上達する作戦。

完成したのが下の写真で、粗末なものではありますが、
とりあえず自力で作れたので満足です!
ワンマイルウエアとして着るぶんにはこんなもんで十分。

これは厚みのある化繊地ですが、
次はリネンで作りたいな。
ポケットも付けたいな。

服って、いくらたくさんあっても、
自分の好きな色、好きな生地、好きな形で、
かつ自分の体型にピッタリじゃないと意味がない。
少しずつ自分で作れるようになってきて、本当にうれしい!

勢い余って、枕カバーも作っておきました。
少しずつミシンに慣れてきた気がする…。

今日のごはん

ばんごはんは、ハンバーグにチーズを載せたやつ。
なんにでもキャベツの千切りを添えると定食屋っぽくなる。

歯医者で、食いしばりがひどいので治療が難しいと言われてしまう。
寝る時にマウスガードをはめているけど、
もう何個も壊した。
寝てる間に、軽自動車くらい引っ張ってるのかもしれない。

服のサブスク

「洋服のサブスク」の広告をちょいちょい見かける。
月々一定の金額を支払うと「プロのスタイリスト」が、
好みやサイズに合わせて似合う服を選んでくれた服をレンタルでき、
借りては返してとっかえひっかえ着ることができる
追加料金を支払えば、ちょっと高級なブランドの服も来るらしい。
なんか違うな、と思っても、レンタルだから手元に残らず、
「失敗した」というダメージがなくて済む。

流行はすぐにすたれる。服の好みも、若い頃はコロコロ変わる。
買っても買っても「着るものがない」と嘆く理由はそこにあるかもしれない。
こういうサービスを利用すれば、
モノを持たずに豊かなファッションライフを送ることができる、
なかなかいいサービスに思える。

でも、私は利用しないだろうな。

服とか靴とか、直接身に着けるものは、
自分というボディあっての存在だ。
どんなに服が素敵でも、自分という立体と合わなければ、
美しくも見えないし、第一気分が悪い。
着心地のよくない高級ブランド服なんて、なんの価値もない。

HSP気質の私にとって、服は着心地が第一。
肌ざわりが悪い、着ているうちにズレてくる、
丈や幅が微妙に違う、
少しでもそういう違和感があると、
一日憂鬱な気分になってしまい、パフォーマンスも上がらない。

そもそも私の体型は標準からややはみ出しているので、
既製服がまず合わない。
身長が低くて上半身が短く(Sサイズ)、
肩幅が広い寸胴体型(M~L)。
市販のワンピースでウエストマークされているものだと、
必ずボタン一つ分くらい上衣部分がたるんでしまう。
だからいろいろ工夫しているのだ。
服を自作するようになったのも工夫の一つだ。

私にとって、服は「自分を表現するもの」である以前に、
「自分を守ってくれるもの」。
着ていて気持ち悪くない生地、着ていて疲れない型紙、
自分の体型に沿った丈や幅だったら、
毎日同じその服で全然かまわない。
おしゃれとはほど遠いけど、
そんな「皮膚」のような服だけが着たいのだ。

若くて流行に関心があって、いろんなファッションを試してみたい、
そんな人たちにはサブスクはいいんだろう。

ただ、「買って、自分のものにする」ことによって、
服と自分の関係をより掘り下げること、
もっと言えば、自分の好みや体型を知ることができるんじゃないかとも思う。
似合わなかったからはい次、はい次、
って服が毎月通り過ぎるだけで、
自分が何が好きで、どう着たらいいかを考えることが抜けてしまっては、
かえってよくないんじゃないかな。

ちなみに、着たり履いたりしないので、
バッグのサブスクはありかもしれない。
(私は要らないけど)

吊るすとラク

この前、ちょっと風変わりな人を見かけた。

昔の「オタク」風の風貌の男性で、
どうやら推し活遠征をしているらしい。
何かがぎっしり詰まったリュックが足元にあり、
何より風変りだったのは、
首から紐でいくつもの透明なポーチをぶら下げていたこと。

ポーチはやや丈夫なファスナー付きのビニール製で、
一つには何かわからない紙類が、
もう一つにはさまざまな色のサインペンが、
もう一つは下になっていて見えなかったが、
いずれもぎっしり詰まっていた。

かなり重そうだけど、たぶん彼にとっては使い勝手がいいのだろう。
いろいろなものを書き留めたり、書いたものを分類したり、
そういうことに使っているようだ。

「吊るす」って本当に便利。
同じ数のものを平面上に並べたら、
すごく広い面積が必要になるし、
それらを畳んだり重ねたりすれば面積は減らせるけど、
今度は探し出す・取り出すのがタイヘンになる。

その点「吊るす」は、占める平面が少なくて済む上に、
検索性が格段に高い。

私はインドネシアやベトナムに行くのが好きなのだが、
東南アジアの国々で見かけるちょっとした売店や屋台は、
この「吊るす」ディスプレイを実に巧みに駆使していて感心する。

女性一人で押して歩けるような小さな屋台に、
びっくりするほど大量の菓子類が吊るされていたり、
市場の洋品店に、膨大な枚数のシャツやドレス、
バッグ類が吊るされていたりするのを見ると、
「吊るす」って優秀な収納手段だなあと思わずにはいられない。

掛けたり戻したりが容易で、一目で見つけられる「吊るす」収納だが、
欠点もあって、吊るし方をよくよく考えないと、
乱雑で汚らしく、かえって見つけにくくなってしまう。

でも、たたんだりきれいに揃えたりするのが苦手なら、
とりあえず吊るしておけば、
最低、床の上にモノを置かずに済むというメリットがあるので、
忙しい人、疲れている人にはいい方法だと思うんだ。

床にモノを置かない

若い頃、洋画に出てくる部屋ってどうしてみんな素敵なんだろうと思っていた。
登場人物が貧しい若者という設定でも、
日本のアパートなんかじゃあんなにならない。
日本の家は狭くてモノが多いからダメなのかなぁ。

でも、だんだんわかってきた。
日本の室内がごちゃごちゃして見えるのは、
「広い平面」が圧倒的に少ないことが大きな理由だ。

出入口も押し入れも引き戸の和室には壁が少ない。
開口部の少ない欧米の部屋には壁がいっぱいある。
壁の少ない和室で暮らしていた頃、
ポスターを貼る場所にみんな困ったはずだ。

床の上もそう。ついモノを置いてしまう。
私たちは畳の上に直接モノを置くことに躊躇しない。
日本人にとって畳の上は「清浄な空間」だから。

畳がフローリングに変わっても、靴を脱いで暮らすスタイルは変わらないから、
やっぱり床にポンポン置いてしまう。
これが土足で入る部屋だったら、やっぱり違うんじゃないか。

次に広い面積を持つ食卓について言えば、
囲炉裏で食事をし、囲炉裏でくつろいできたDNAのせいか、
私たちは食卓にあらゆるものを持ち込んで置きっぱなしにしてしまう。
財布や携帯、薬に化粧品、本や新聞、おもちゃに手芸用品……

昔の、たぶん1965年より前の日本の家庭には、
モノなんてたいしてなかったから散らかりようがなかったのに、
生活習慣はそのままで、モノだけ大量に流入してきたせいで、
以降50年以上、片付けに苦労する羽目に陥ったんだねぇ。



ーー

モノなんてなんだっていい

4月から新生活を始める若い人、
今からワクワクしてるんだろうな。

私が学生寮を出て一人暮らしを始めたの、
今から38年前だわ。
(書いてて驚く…… 太古の昔やん)

目黒の四畳半からのスタート。
世の中はバブルに浮かれてるのに、
学生の自分には特に恩恵もなく、
何もないところから始めた暮らしだけど、
楽しかったなぁ。

その頃から持ってるものって、
おかんがその辺で買ってくれたステンレスのボウルぐらいだわ。

逆に言うと、金属のものって長く使うことになるから、
気に入ったもの買った方がいいんだろうけど、
二十歳やそこらでそんなこと考えないよね。

いいんだよその辺で買ったもので。
けっこう、40年使えるよ。

料理さえできれば

むすめが独立して1年半。

いつ行ってもアパートの部屋はきれいに片付いているし、
自炊とお弁当も続いている。
節約でプールしたお金は趣味の旅行に充てる、
という生活が定着したようで、一安心だ。

一方、コロナとともに大学入学した息子の方は、
3年も終わるというのに、就活の気配すら見せない。
頼むから4年で卒業して(文系学部)、
就職したら家出てってくれ……
(空いた部屋を私の部屋にして、裁縫台を設置する予定)

心配したむすめが問いただすと、
案の定ほぼ何もやってなかった。
姉にどやされ、重い腰を上げたむすこ。
就活指導はむすめが頼り!!

就活に関して私がやれることはないから、
独立後を見越して、一通りの自炊を教えることにした。

小中学校の時も多少やらせていたけど、
今度はもうちょっと実戦向きのプログラムで。

内容は、
・1週間の買い物プラン
・簡単な作り置き
・メイン料理何種類か
・調理後の油やごみの始末、洗い物
・簡単な合わせ調味料
・食材の切り方
など。すでにいくつかは伝授済。

男女問わず、何が役に立つかって、
料理の能力だと思う。
使えるお金が少なくても、食生活さえ安定していれば、
楽しく健康に暮らせるもの。

料理と後片付けができるなら、それだけでも、
お金をたくさん持っていると同じことだ。
あとはゴミさえきちんと出しておけば、
ほかはまあどうにかなるぞ!

相続させるような財産は何もないので、
これが私の生前贈与……