先日、隣県のビッグモーターの前を通ったとき、
植栽が枯れていないかどうか、つい見ちゃった。
本当に毎日報道されているねぇ。
それにしても、公共の財産である街路樹を引っこ抜くことを、
「環境整備」
と呼んでいたのが本当だとしたら恐ろしいことだ。
同社に限らず、「掃除」を重要視する企業は多い。
カリスマ経営者が「掃除」に特化して書いた経営論はたくさんあるし、
企業研修でも「掃除」は好まれるテーマのようだ。
名門私立学校の中には、(今はどうか知らないが)
「半裸になって便器を素手で磨く」
ことを課していたところもあったな。
多くの国で、教室の掃除をするのは子供ではなく業者なのに対して、
日本人は掃除文化を子供の頃から叩き込まれているのかもしれない。
散らかり汚れた工場では生産効率が上がらないだろうし、
ことによっては事故が起こるかもしれない。
掃除が大切なのは本当。
でも、「掃除さえ徹底すればすべてがうまく回る」
式の論理もどうかと思うなぁ。
掃除や片付けで、確かにいろいろなことが改善するだろうし、
気持ちが明るくなることがあるのは確かだけど、
「掃除さえしてれば全部うまくいく」
わけないもん。
掃除でも片付けでもシンプルライフでも、
徹底しようとするとどうしてもそれが自己目的化していく。
掃除のための掃除になってしまって、
「自分たちが幸せになる」
という本来の目的が置き去りにされていくのだ。
本当は、掃除だけでなく、もっといろいろなことがお互いに作用した結果、
現状があるはずだ。
だけど、その経過を考えて、意見をすり合わせて、
複雑な手続きを踏んで現状を変えるのは面倒くさい。
「考える」
「考えさせる」
ことをすっ飛ばして、掃除だけしてりゃいい、
ってことになっちゃうんだろうか。
掃除は大切だけど、それが目的じゃない。
目的はいつも、幸せになること。
逆に、幸せなら、掃除なんかしなくたっていいのかもしれない。
(……いや、やっぱり少しはした方がいいと思う……)