子供の頃から、夢が多かった。
夢、といっても、夜眠るときに見る方のである。
記憶にあるいちばん最初の夢は、幼稚園のとき。
小さなビルくらいあるアリンコが襲ってくる怖い夢だった。
あんまり怖かったから今でも覚えている。
怖い夢が多くて、いつもは優しい幼稚園の先生が、夢の中では恐ろしい人になっていたり。
楽しい夢もあったんだろうけど、怖い夢の方がどうしても記憶に残ってしまう。
思春期~20代はさらにひどく、自分の叫び声で目をさましてしまうこともあった。
金縛りにも頻繁に遭うし、耳元でへんな声が聞こえることもあったり、当時は寝るのがイヤだった。
照明をつけたまま寝ると比較的悪夢を見なくて済むので、明るい部屋で寝ることが多かった。
悪夢に限らず、夢というのはなぜか体力を使う。
たとえば、夢の中で道に迷って延々と歩き回ったり、遅刻しそうになって全力で走ったりすると、6時間も7時間も寝た後なのに、目がさめたあとグッタリ疲れている。これじゃ、いくら寝ても意味がない。
夢占いやスピリチュアルはもともと信じてないし、好きじゃない。フロイトやユングも読んだけれど、だからといって夢を見なくなるわけではない。さすがに精神科に行くほど困ってもいない。
仕方なく、何かの足しになればと、夢の記録をつけ始めた。
「通学路にたくさんの蛇が横たわっていて、その上を通らないと学校に行けない」
「燃えさかるジェットコースターに乗って、延々と地底に下っていく」
「複雑な構造の建物の中を、何かを探しながら歩き回る」
「地上1mくらいの高さを、飛翔するでもなく、ふわんふわんと移動している。なかなか思う方向に進めない」
たまには、こんな夢もあった。
「とてもおいしいものを食べている。ふと目がさめると、布団の端を噛んでいた」
当時、夢に関する何かの本に、夢の記録の取り方が書いてあった。いわく、
「夢は、目を開けた途端に忘れてしまう。記録したいなら、目を閉じたままで、ノートにメモするべし」
この方法を採用することで、夢の再生率は飛躍的に上がった。
夢なんか記録したところで、何にもならないとわかっていたが、記録しはじめると面白くて、けっこう続いた。そして、次第に鮮明に再生、記録できるようになった。
こうなると面白いもので、夢をみながら、それが夢であることを意識する、いわゆる明晰夢を見るようになる。
「怖いよ~! ……でも、あ、これ、夢じゃん。あはは」
みたいな。
明晰夢を見るようになると、今度は、夢の内容を操作できるようにもなってくる。
高いところから墜落する夢も、それが夢だと気づいた途端、安全に着地できたり。
悲劇的な結末になりそうだったのが、ハッピーエンドに変えたり。
自分の夢を知れば知るほど、夢はイヤなもの、怖いものではなくなり、私は次第に悪夢を見なくなっていった。
それからしばらくして結婚した。
2人の生活は一人のときとは生活リズムも違い、夢の記録はやめてしまった。
子供が生まれると、あんなに夢ばかり見ていたのが、育児と仕事でクタクタだったせいか、ほとんど見なくなった。夢は、ヒマだと見るのかな。
しかし、子供が大きくなり、自分の時間ができるようになるにつれ、また夢が増えてきた。
悪夢も見るのだが、たいていは、家族に危害が及ぶシチュエーションで、私が彼らを守ることになっている。これもなかなか疲れる夢である。
訓練していないから明晰夢は見ないけれど、最近また、夢の記録をつけ始めた。
一人でつけていてもつまらないので、友達を誘ってFacebookのグループを作って。
今度は、自分の夢だけでなく人様の夢の話も聞けるので、大いに楽しんでいる。
「夢」についてググってみたところ、
「夢を記録すると発狂する」という説が散見されるが、それはないと思う。
ない……んじゃないかな……? 多分??