炊飯器はないけどクロックを買った

炊飯器を持っていない。

結婚した頃までは、一人暮らし時代の小さな炊飯器を使っていたけれど、もともともらいものだったし、使い勝手が悪く、次第に使わなくなってしまった。やはり一人暮らしをしていた夫も似たようなチャチな炊飯器を持ってきたけれど、使う気がしなかった。結婚してからは、ずっと鍋でごはんを炊いてきた。

オーブン機能つき電子レンジだけは買って、それは25年使うことになるのだが、オーブントースターやコーヒーメーカーは持たなかった。台所に電気コードがいっぱいあるのがイヤだったから。

ずっと狭い台所を使ってきたので、作り付けの収納に収まるだけのものしか持てない。鍋も食器も、できるだけ少ない数でやりくりしてきた。それで特段困ることもなかった。

しかしここに至って、私は買ってしまったのである。「クロック」を。

クロックとは、タイ料理を作る際に必須とされる調理用具で、石でできた叩き鉢である。鉢とセットになった石の棒も一緒についてきた。ここ数年入れ上げているタイ料理を作るために購入した。

何か欲しくなったときは必ず、今あるもので代用できないか考える。
基本的な道具を持っていればたいていはどうにか代用することができるものだ。
クロックだって、中鉢としても使っているすり鉢でじゅうぶん代用できるはずだった。タイ料理のレシピ本にも、そう書いてあるものがあった。

やってみたところ、確かに代用できなくはない。
タイ料理は、やたらといろいろなものをペースト状にして使う。食材を調味料と合わせて、まるで味噌のように滑らかになるまでつぶす。すり鉢とすりこぎでゴリゴリと気長にすりつぶせば、まあまあ近いところまでできる。

いや、できない。
近いけど違うものになってしまう。

すり鉢は、もともと形のない味噌や豆腐を更に滑らかにしたり、ゴマをある程度細かくしたりすることはできるけれど、それは「摺る」であって、「叩く」ではない。タイ料理で作るペーストの素材は、パクチーの根、にんにく、唐辛子といった、さまざまなテクスチャー、さまざまな形をしていて、それを硬い石どうしを使って「叩き潰す」ことで滑らかになる。すり鉢の「すり潰す」では、どうしても最終的な滑らかさが出ない。それと重要なことだが、「作っていて楽しくない」。

タイレストランの厨房を外から覗いてみると、オーダーが入ると必ず、このクロックでゴツゴツと何かを叩き潰し始める。その様子が、いかにも「おいしいものを作っている!」という気合に満ちていて、期待が高まるのだ。

何度も繰り返し作るうちに、どうしてもすり鉢では満足できなくなってしまい、ついにいつも行くタイ食材でクロックを手に入れたというわけである。
食材店の(タイ人にしては)不愛想なおかみさんは、使い方、手入れの仕方を教えてくれて、
「足の上に落とさないように」
とアドバイスまでしてくれた。クロックは大きくはないが、とても重いのだ。

こうして、炊飯器のない台所に、クロックがやってきた。
その日からクロックは大活躍だ。
ゴツゴツ、ゴツゴツ、ハーブやスパイスを叩き潰すとき、目の覚めるような香りがパアっと立つ。この香りが、私は大好きなのだ。コブミカンの硬い繊維だって、レモングラスだって、手早くペーストにできてしまう。陶器と木のセットとは比べ物にならない。溝を竹串でほじくらなくても済む。ああ、もっと早く買えばよかった。

若い頃、ものをなるべく持たないようにしたいと思って読んだライフスタイル本の著者は素晴らしくセンスの良い方で憧れていたが、
「油は一種類だけで十分です」
と書いてあったのは真似できなかった。
いろいろなものを作りたい私には、ごま油も菜種油も必要だったから。
服は最低限でいいけれど、「食」にはバリエーションを求めるタイプだったのだ。

ものを持たないことが目的なんじゃない。
幸せに暮らすことが目的なんだ。

もうちょっと年をとって、ごはんの鍋炊きが苦痛になるかもしれない。コーヒーを手落としするのが面倒になるかもしれない。その時は炊飯器を買い、コーヒーメーカーを買うかもしれない。

でも今は、鍋でごはんを炊いて、クロックでスパイスをすりつぶす。
クロックが重く感じられるまではまだ間があるだろう。
この暮らしが、今の私にはいちばん居心地よくて、楽しいのだ。

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