どうでもいいことばかり気がついてしまう

最近、数十年来の友人と久しぶりに会った。
友人といっても彼女は、私が学生時代にアルバイトしていた、
小さなコーヒー店の元オーナー。

バイトをやめた後も、バイト仲間と一緒にイベントに行ったり、
お互いの家を行き来するなど、
年上の友達として長く付き合ってもらっていた。

その彼女が、40年近く住んだ都心の賃貸から、
少し離れた街に引っ越したというので、
コロナ禍も下火になった安心感もあって、
新居に訪問することになった。

待ち合わせしていた駅から新居までは6~7分。
その間、私はいつものように、目に入るいろいろなものを、
何も考えずに口に出していた。

「アッこの花、この前名前調べたんだよ、〇〇〇っていうんだって」
「×××って、変わった店名だね! 人によっては入るの躊躇しそう」
「この先に△△△っていう神社があるんだね、ご利益ありそう!」
初めて訪れる場所って物珍しくて、キョロキョロしながら歩くのがすごく楽しい。

新居に上がってお茶を淹れてもらい、一息ついた後、
彼女がおかしそうに言った。
「ここに引っ越して半年経つけど、
 あんたがここに来るまで見つけたもの、
 私、今まで一個も気がつかなかったよ!
 ほんと変わらないね~、そのキョロキョロしてるとこ!」

言われてハッとしたけど、確かに、そうなのだ。
昔から、誰も気にとめない、どうでもいい些末なことに、
意味もなく気づいては嬉しくなってしまう。
そして、気づいたことを片っ端から口に出してしまう。

家族にも、呆れながらよく言われる。
「そんなものに、よく気がつくね!?気にしたこともなかったよ」

運転免許を取ったとき、運転適性判断用の性格診断テストは、
「細かいことによく気づきます。そのため、疲れやすいので、
 よく休憩をとって運転しましょう」
という診断結果だった。

その時、
「細かいことに気がつくと、なんで疲れるんだ?」
と不思議に思ったけど、今ならわかる。

どうでもいい些末なことを観察してしまうがゆえに、
脳のメモリをすぐに使い果たしてしまうのだ。
だから、情報量の多い場所を短時間で移動すると、
ものすごく疲れてしまう。

それと同じなのかもしれないけど、
人と会って長時間会話をすると、
それが相当付き合いの長い、人となりを知っている人でない限り、
別れたあとドッと疲れてしまう。

大人数の集まるパーティーなんかは特にそう。
会って話している間はとても楽しいし、
その場もそれなりに盛り上がるのに、
一人になった途端、倒れそうにクタクタになってしまうのも、
相手が発する情報を細部まで読み取ろうとしてしまう性質のせいだと思う。

この年になって、この性質の厄介さに気がついたものの、
この年になって、変えることもできない。

きっと死ぬまで、どうでもいいものをまじまじと見ては、
クタクタに疲れる人生を送るのだ。

大手町の歩道の植え込みの杭に、刺さっている靴下。 これ、3年前から刺さってるんだけど、気づいてる人いるかな

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