子供が生まれた頃から、食器類を白一色で揃えた。
大中小の白い皿、それと同じシリーズの小鉢、
麺類用の丼。
個人用の飯碗と数枚の大皿、多めに持った豆皿のみ、色柄のあるものだった。
湯呑もコーヒーカップもなく、耐熱グラス一種類のみ。
台所に作り付けの食器棚に全部収まったし、なんならスカスカだった。
子育てと仕事に追われ、毎日クタクタだったその頃、
食器はそうでなければならなかった。
「この料理にはこのうつわ」
なんて、おしゃれマダムみたいな優雅なことは言っていられなかった。
ごはんを作って、食べさせて、片づける、
それで日々精一杯だったのだから。
上の子が高校生になったある日、実家で食事をしていて、
「柄のある食器っていいねえ」
とつぶやくのを聞いた。
実家の食器棚は脈絡のない色柄物の食器が溢れかえっていて、
実家にいた頃の私はそれがイヤでたまらなかったのに。
しかし、そのつぶやきを聞いた日から、
あれほど私を助けてくれたサッパリした食器棚が、
突然、味気なく寂しいものに見えてきたから不思議だ。
その頃から、皿が一枚割れるたびに、同じサイズの色柄物の皿に入れ替えてきた。
15年も経てば、皿も割れだすらしい。
それまで持たないようにしていた、和食器の中鉢なんかも持つようになった。
食器棚の秩序は少しずつ崩れていったが、意外にも収納が足りなくなることはなかった。
もともとスペースが空いていたこともあるけれど、
買い替える食器は必ず、割れたものと同じサイズ、同じカーブのものを選んだからだ。
これなら、従来と同じ場所に重ねられるし、
新たに買う中鉢も必ず入れ子になるデザインのものにした。
白一色ではなくなった食器棚だが、実家の食器棚のような放埓な色彩はない。
私が好きなのが寒色なので、結局色柄物であっても、
白、青、緑に落ち着いてしまうからだと思う。
食器は一点一点別々に買うようにしている。
贈答品にありがちな「5点柄違いセット」は大嫌いだ。
必ずどれか、好みではないデザインが混じっているから。
それが、そこまで嫌いなデザインじゃなかったとしても、
1点でもイヤなアイテムがあったとしたら、大損ではないか。
食器なんて、気に入らないものほど割れないんだから。
ちなみに、一時気に入って少しずつ揃えた薄手のやや高価なグラスは、
後から後から割れてしまって、もう一点しか残っていない。