生きていることはたのしい

BS朝日『御法度落語 おなじはなし
という番組を最近見ている(例によって録画で)。
同じタイトルの落語を、二人の落語家が前後して上演するというもので、
一人は江戸(東京)の、もう一人は上方落語の噺家さんによる。
寄席ではありえないことで、とても斬新な番組だ。

今週は『だくだく(桃月庵白酒)/書割盗人(桂南天)』だった。

「店立てを食らった男。
持ち物全部売り払ったため引っ越し先には何もない。
汚らしい壁一面に紙を貼り、
絵心のある知り合いに好みの家具調度を描いてもらい、
物持ちのつもりで暮らし始めた。
男が寝入った頃、近眼の泥棒がやってきて、
家財道具を盗もうとするが絵なので触れることもできない。
業を煮やした泥棒、そこいらのものを「盗んだつもり」で、
かき集める所作をする。
目を覚ました男、つもりでも盗まれるのは腹立たしく、
絵に描いた槍で泥棒を「成敗するつもり」になる」
というシュールな噺だ。

白酒さんはマクラに当世風なエピソードをもってきつつ、
丁寧な描写で面白かった。
「だくだく」の題名通り、絵に描いた槍で刺されたつもりの泥棒が、
「血がだくだく流れてるつもり~~」で終わる。
南天さんの上方バージョンは、絵を描いてくれるのが、
「昔、芝居の書割(背景)描いてた」人、というところと、
描いてもらう菓子が江戸は羊羹なのに対してカステラ、
というところだけ違って後は同じ。

ただ一か所、おやっと思うセリフを、南天さんは「男」に言わせていた。
  
江戸でも上方でも、
「壁に箪笥や時計が描いてあるだけで十分豊かな気持ちで暮らせる」
と豪語するだけに、どちらの「男」も果てしなく楽天的な人物である。
共通するセリフ、
「美人が近くを歩いていれば、さりげなく並んで、
『この女は俺の女房のつもり』」
という図々しい発言に、「絵を描いてくれる人」はあきれるのだが、
その直後に、南天さんの「男」がサラっと言った一言がとてもよかった。

「生きていることはたのしい」

いかにも、頭のよくない人間がものを考えずに放った風なそのセリフを、
南天さんは男にごく無造作で無表情に言わせていた。
しかし、この一つのセリフで、
ナンセンスでシュールな噺がさらにナンセンスな、
同時に分厚いものになったと感じた。

家賃を2年(1年と12か月)もためたあげく長屋を追い出された男、
家財道具を売り払ってしまって鍋窯さえない無一物の男が言う、
「生きていることはたのしい」
には、ある種凄みがある。
このセリフとまったく同じ抑揚で、
「死ぬことなんか何でもない」
と聞かされても平静でいられそうである。

そんな男と、絵を実物に見間違って怒り出す間抜けな泥棒の、
本気なんだかどうだかわからない乱闘(のつもり)は、
このセリフの上に更にシュールになる。

この番組を何度か見たけれど、どうも私は上方落語の方が肌が合うらしい。
少し軽くて、気が抜けて、
どこか人生を舐めてかかっている(かかろうとしている)ところがだろうか。
噺家さんは皆さん一生懸命なのだろうが、
聴いているこちらの気持ちがラクになるのは、
飄々とした上方言葉のお蔭かもしれない。

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