ソンとかトクとか

今住んでるのはフツーの田の字マンション。
もう18年近く住んでいる。
ここに至るまで何度か小さな工事や修理をしてきた。

その都度工務店や修理業者に来てもらうのだが、
今時は必ず、
「休憩のご配慮は無用です」
と言われる。
お茶出しなどしなくていいですよ、ということらしい。

私は田舎育ちなので、そうは言われても必ずお茶を出してしまう。
職人さんにお茶を出さないなんて考えられないからだ。親たちもそうしてきた。

食卓に座ってもらうこともあれば、
職人さんがあまりに恐縮する(会社にきつく言われているのか)ときは、
工事中の部屋にお茶を持っていくこともある。
「10分でいいですから、お茶一杯飲んでくださいよ」

どんなに固辞する職人さんでも、怒り出す人はいないし、
ほとんどは「それでは」と休憩してくれる。
ちょっと世間話してくれる人もいる。

ダラダラ休憩する人は一人もいない。
10分か15分、休んだら、
またせっせと作業を続ける。

そしてこれは不思議なことなのだが、
どの職人さんも、絶対と言っていいほど、
何かちょっとした作業を付け加えてくれるのだ。
ケーブルを固定してくれたり、
穴の開いているところを補修してくれたり、
ものの5分程度の作業だが、何かしら必ずやってくれる。
例外はない。

別に、サービスを期待してお茶を出したりなんかしていない。
依頼した作業さえきちんとやってくれればそれでいい。
中には、お茶なんか飲みたくない人もいるかもしれない。
それより10分でも早く帰りたい人もいるかもしれない。
そんな人に無理強いしたりはしない。

でも、今のところ、100%の確率で、
職人さんはお礼の気持ちを見せてくれる。
文化人類学なんかで言う互酬性の法則というやつなのかもしれない。
そんなことはどうでもいい。
私は、ちょっとぐらい休憩した方が、
少しはリフレッシュできるだろうと思ってお茶を出すだけ。

職人さんはそれに応えてくれたのかもしれないし、
あるいはただの気まぐれなのかもしれない。
でも、受け取った私は、いつも目の前がパアっと明るくなるような、
胸が温かくなるような気持ちを感じて幸せになる。

食堂で会計するとき「ご馳走さま」という人に向かって、
「金払ってんだから礼を言うなんてバカバカしい」

という話を聞くと、必ず思い出す。
礼を言うのはそんなにソンなのか?
一言の礼をケチって、何をトクしてるつもりなのか?

おいしかったら「おいしかったです!」と必ず言う。
それは本当の気持ちだから。
受け取る相手が奇異に思ったとしても言う。

いつまでも生きてるわけじゃないんだから、
感謝の気持ちはその時表現する。
幸せな気持ちは必ず表現する。

思ってるだけななく、表現することで、
私だけの狭い世界は、受け手と共有されて広がる。
言葉はそのためにあると思ってる。

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