『ハイビジョン特集 数学者はキノコ狩りの夢を見る
~ポアンカレ予想・100年の格闘~』(2007年、NHK)
世紀の難問と言われた「ポアンカレ予想」、
その証明に人生を捧げたり振り回されたりした数学者たちの苦闘を描いた番組。
そもそも私にはまったく縁のない世界である数学だけど、
あまりに魅力的な実話についつい引き込まれて見てしまった。
2006年にポアンカレ予想を証明したロシア人数学者ペレリマン博士が、
数学のノーベル賞であるフィールズ賞の受賞を拒否して失踪した、
というニュースはその当時耳にしたけれど、別に驚かなかった。
数学者というだけで十分変人なんだし(コラ)、
フィールズ賞を獲るような、
数学者の中の数学者がどんなに変人でも不思議じゃないと思ったから。
とはいえこのペレリマン博士、もともとは快活で人づきあいもよい好青年だったという。
それが、数学者として最高の栄誉である賞を拒否し、職場も去り、
(番組放送当時)自宅に閉じこもり、
唯一趣味のキノコ狩りのために森をさまようだけの生活になってしまったというのは、
いくらなんでもどうして、なんでそうなった。
彼をそうさせてしまったのが「ポアンカレ予想」。
ポアンカレ予想とは、アインシュタインに並び称された天才、
アンリ・ポアンカレが1904年に提示した難問。
すんごくざっくり言って、
「ある条件を満たせば、“宇宙は穴がなく丸い(閉じている?)空間である”
ことが証明できるはず」
といったものらしい(おぼろげ)。
それは同時に、当時の数学の主流、微分幾何学とは異質の新たな数学
「位相幾何学(トポロジー)」の誕生でもあった。
しかし、天才ポアンカレ自身、自らの予想を解くことはできなかった。
それから半世紀近く、二度の大戦を経た1950年代、
ようやくポアンカレ予想証明の機運が生まれ、
多くの優秀な頭脳がこの問題に取り組み始めた。
プリンストン高等研究所のウルフガング・ハーケンとパパキリアコプーロス
(通称パパ)もしのぎを削り合った二人だ。
特に“パパ”は、ポアンカレ予想に没頭するあまり、厚遇の教授職を辞退、
社交も娯楽も断ちすべてを研究に捧げる、修行僧のような生活を送っていた。
ポアンカレ予想は残酷な命題だ。証明に近づいたと思った途端それに欠陥が見つかる。
「“予想”解明にいちばん近い男」と言われながら、
“パパ”の精神は次第に追い詰められていった。ギリシャに恋人がいたが、
研究に集中するあまり、結婚もあきらめた。
証明できそうでできないポアンカレ予想に振り回され、結局、
彼は研究なかばで癌に侵され、この世を去った。
その死に際して、葬儀さえ行われなかったという。
“パパ”はポアンカレ予想に人生を食いつぶされ、あまりに多くのものを失った。
――それを愚かとか不幸と呼ぶことは誰にもできないにせよ。
一方、“パパ”と張り合っていたハーケンは、
同じくポアンカレ予想を証明できなかったものの、精神を崩壊させずに済んだ。
それは一重に、家族のおかげだという。
彼が研究に行き詰って精神を圧し潰されそうになっているとき、家族はいつも、
「ホラまたお父さんのポアンカレ病よ」
と笑い、茶化してくれた。そのおかげで彼は、息詰まる数学の世界から、
日常の世界に戻ることができたのだ。
それほどに数学は、日常を吸いつくしてしまうものなのだろうか。
「数学者はつねに日常の生活と数学の世界とを行き来しなければなりません。
数学の世界とは、数学者だけが知っている特別な場所です。
そこには永遠の真理がありそれを理解できる者だけに完璧な美しさを見せてくれます。
まるで迷宮に迷い込んでしまったように、
クリスタルの壁に乱反射する美しい光に数学者は思わず取りつかれてしまうのです」
(ニューヨーク大・カペル博士)
トポロジーが数学界の主流となった1960年半ば、
ロシアにペレリマン(愛称グリーシャ)は誕生した。数学教師の母のもとに生まれ、
16歳で国際数学オリンピックに出場して難問をやすやすと解く天才に育った彼は、
だがトポロジーにはまったく興味がなく、数学以上に物理学に秀でていた。
一方アメリカでは、数学者たちは“予想”の前に次々と破れ、別の分野に散って行った。
トポロジーにより証明されるかに見えた“予想”の進展は膠着状態にあった。
そこに、「マジシャン」の異名を持つウイリアム・サーストン(コーネル大教授)
が新たな境地を拓いた。1982年、
「宇宙が、たとえどんな形であろうとも、
それは最大で8つの種類の断片がつながり合ってできている」
(サーストンの幾何化予想)
という論文を発表する。
これはその一部にポアンカレ予想も含む壮大な問いかけでもあった。
数学者は再び、一斉に幾何化予想に取り組み始める。
1990年代、26歳のペレリマンがアメリカにやってくる。
といっても、彼の専門は微分幾何学だった。
この頃、微分幾何学の難問「ソウル問題」を証明している。
あまりに簡潔な解答に、多くの数学者が驚いた。
この頃まで、ペレリマンは少々変人だが快活で社交的な人物だったという。
ところが渡米3年目、彼の様子が変わり始めた。
人を避け、研究室に閉じこもるようになった。
この頃から彼は、ポアンカレ予想に挑み始めたのである。
きっかけは、ハミルトンによる、
「リッチフローを使えばサーストンとポアンカレを解ける」
という論文。
リッチフローは、ペレリマンが得意としていた物理学の方程式であった。
やがてロシアに帰国することになったペレリマンは、
サンクトペテルブルクでも人づきあいを避け、
とりつかれたかのように研究に没頭する。
明るかった彼のあまりの変貌ぶりに、地元の同僚たちは唖然とした。
そして7年。
2002年の秋、数学界に激震が走る。
インターネット上に、ポアンカレ予想を証明する論文が発表されたのだ。
数学者たちは皆半信半疑、どうせ出鱈目だろうと思う者が多かった。
ところが読み進めると、どこにも間違いが見つからない。
翌2003年、アメリカの数学界が論文の執筆者を招聘、
壇上に現れたのはペレリマンだった。
ひとたび証明が始まると、その進め方に、
居並ぶトポロジーの大家たち誰もはついていけない。
証明に使われたのはトポロジーではなく、
微分幾何学と物理学だったのだ。
そこにはエネルギー、エントロピーといった物理学用語が飛び交い、
トポロジーは使われていない。数学者たちのショックは大きかった。
「証明が理解できない!」
「リッチフローの三次元多様体への応用」
と題されたこの論文は、あまりに難解で、
証明するのに足掛け4年を必要としたが、最終的に、
サーストンとポアンカレ、両方の予想が証明された。
100年にわたる謎に終止符が打たれたのだ。
ペレリマンの功績は文句なしにフィールズ賞の受賞対象となった。
ところが、彼は賞を受け取ることなく、失踪してしまう。
人々は驚き、嘆き、落胆した。
「ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かもしれない。
孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、
めくるめく数学の世界に没入するということです。
人間性を二つに引き裂かれるような厳しい戦いだったに違いありません。
ペレリマンは最後までそれに耐えたのです」
パリ高等科学研究所、ミハイル・グロモフ博士の瞳はうっすらとうるんでいた。
現在、天文学者たちは観測衛星を使って実際の宇宙の形を調べ始めている。
現在の観測によってわかることはまだ多くない。
私たちに見える宇宙――天文物理学では「可視宇宙」の“年齢”は137億歳だという。
番組制作当時、高校時代の恩師アブラモフさんが、
ペレリマンが隠棲するアパートを訪ねていく。
「彼の才能は私たちの社会にとってひっ条に貴重なものです。
一人で引きこもらず、社会に貢献するべきだと伝えたい」
しかし、度重なる恩師の呼びかけにも拘わらず、彼は姿を現すことはなかった。
生命を危険に晒してまでエベレストに登り、深海に潜り、宇宙に飛び立つ人たちを、
私たちは必ずしも理解できるとは限らないが、驚きと畏れ、尊敬をもって見つめる。
しかし、一日中デスクに向かい、微動だにせず観念の世界に没頭する数学者が、
彼らと同じ、命がけの冒険に挑んでいるなどと、考えたこともなかった。
人間が内に内に、果てしない論理と思考の世界深く入り込む行為もまた、
精神を引き裂かれ、出てこられなくなるほど危険なことなのか。
観念の世界とリアルの世界を行き来してバランスをとる。
それは自分一人ではできなくて、でも数学の世界を突き詰めるためには、
孤独に耐えなくてはならなくて……。
数学って、絶対的な解答がある(と思われる)だけに歯止めがきかず、
どこまでも突き進んでしまうんだろうか。そこが哲学とは違うのかもしれない。
番組放送からすでに13年が経過した。ペレリマンはまだ50代である。
ウィキペディアによると、
「現在彼は、妹夫婦のいる北欧に移住し、研究を続けている」
とある。妹たちとは交流があるんだな……ちょっと救われた。